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《ブラジル》USP=日本語科、非日系学生が8割=日本文化研究所50周年=英語やポ語で学ぶ時代に

左から松原教授と菊池所長

左から松原教授と菊池所長

 今年、サンパウロ大学の日本文化研究所(菊池渡所長)が開所から50年という記念すべき節目を迎えた。かつて日本語学科の学生の大半が日系人だったが、今では8割が非日系人。多くの学生が日本語科を専攻する一方で、半数は日本語が読めない時代になった。そんな時世ととも「原典主義」から離れるなど、ブラジルにおける日本研究の拠点が新しい地平に向い始めている様子を取材した。
 同研究所は1968年、日本語科の支援と日本研究者の育成を目的に、同講座の主任教授を務めていた鈴木悌一(ていいち)が中心となって設立した。日本研究の基盤であり、先駆けとなった。96年にUSPがブラジルで初めて日本研究の大学院を設立して以降は、より研究施設としての役割を色濃くしている。
 いくつもの西洋諸国語を習得していた鈴木悌一は「原典主義」を重んじ、授業では『万葉集』や杉田玄白の『蘭学事始(らんがくことはじめ)』などの古典が教材として使われていた。
 しかし、あまりに内容が高度だったため、人物伝『鈴木悌一』(鈴木正威(まさたけ)著、2007年、サンパウロ人文科学研究所)には「1年生入学時には30人いた学生が、卒業時には5~6人しかいなかったことも」と記されている。
 同所研究員の松原礼子教授は「今は『原典主義』から程遠い。学生の半分ほどは英語やポルトガル語から日本のことを学んでいる」と話す。現在、日本語科を専攻する学生は約200人で、その8割は非日系人。「日本語の文献だけで指導したら学生たちがついてこれない」と話す。
 一方、「原文から学ぶことが理想だけれど、最近は他言語の文献も充実している。日本語ができなくても、日本が大好きで目を輝かせて学んでいる非日系人の学生たちがいる。彼らなりのやりかたで研究に燃えてくれればいい。日本語力だけで学生を評価することはない」との方針を話した。
 松原教授は同所の目標として大学院に博士課程を設けることを挙げた。今は修士課程しかないことから、学内から修士課程や日本語科の廃統合が提案されたことがあった。「他言語科と統合したら効率的ではないかと言われたが、とんでもない。最高学府から日本を研究する場を無くすということは、ブラジルにおける学術的な日本の地位を下げることになる。一度失ったものは取り戻せない」。
 ここで学んだ学生のほとんどが卒業して企業で働くか公務員になり、日本研究者や日本語教師になるのは一握り。同教授は「博士課程ができれば研究に携わる人が増え、相対的に研究対象としての日本文化が盛り上がるはず」と期待を寄る。
 大学院廃止の声は弱まったが、完全に消えたわけではない。そこで今年から日本研究の論文を掲載する専門誌『Estudos Japoneses』の発刊を年1回から2回に増やすなどの実績を作り、活発な活動を学内外にアピールしている。「私たちのミッションはより多くの人に継続的に日本を学んでもらうことと、良い論文を出すこと」と力を込めた。来年は50周年記念誌を刊行する予定だ。


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 日本文化研究所の会館がサンパウロ大学構内に建設されたのは1976年。それまで市街地の借家や構内の施設を転々としていた。建設時、大学がドイツとイタリアの両国に研究所建設用地の提供を申し出たが、両国はすでに市内に文化センターを有していたことから断った。松原教授は「歴史を知らない人が学内で日本だけ優遇されていると言うが、そうではない。それに会館は、日本政府やコロニアから資金を集めて建てたもの」と自力で建設されたことを強調した。今ではそのような歴史も「知る人ぞ知る」の状態だ。
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 日本語科開設当初、専攻するのは日系二世の女子学生が中心だったが、現在は非日系人が8割で男子が半数。かつて日本語、日本文学、歴史人類学などが主な研究テーマだったが、近年は政治、経済、マーケティング、アート、スポーツなど多様な分野が取り上げられている。松原教授は「少し前まで新しい研究領域とされていたアニメや漫画ですらオーソドックスなテーマになりつつある。『日本文化』の解釈が広がっている」と話した。日本研究を取り巻く状況は大きく変わりつつある。

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