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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(6)

 一七時頃、中央と東丘陵間の谷間の中間地点までソ軍二箇小隊が進入。
 八月一七日、敵の砲撃なし。中央と東丘陵方向から銃声しきりに聞える。不思議にもわれわれが展開している西丘陵には一五日の攻撃後はソ連軍はやってこない。
 八月中旬とはいえ、海抜一八〇〇mの大興安領山脈の夜は、冬のように冷える。後方からの補給は一三日の布陣の時、握り飯二コがあっただけ。それ以外は背のうに入れてきた携行乾パン一袋と鰯小缶詰一コを口に入れただけである。
 戦場とはいえ、食料不足と寒気、さらに寝不足が重なってやり切れない。銃座の左斜め後方の、隣り中央丘陵との分岐点近くの谷間に炊事所があったのを思い出し、隣りのタコ壷の兵を呼んだ。急傾斜の草むらを滑り降りると、予想通り炊事所があった。
 壁際に乾パンの大箱が三〇箱も積んである。内部は隅々まで綺麗に掃除してあった。棒と縄切れを探し出し二人で担ぐ。草をつかみながら斜面を登っていると、銃声と同時に弾丸が左頭上をパシと音をたてて走った。咄嗟に前を担いでいる兵に、箱を下ろして伏せろと言い、ずり落ちてくる箱を支えながら箱陰に伏せた。一五〇mほど向うの中央丘陵に、ソ連兵一人が銃をかまえて見下ろしていた。ジッとしていると奴は銃を肩にかけて立去った。
 一六時半、第七中隊残余の全員は、最後の突撃に備え、中央丘陵の三八式野砲の前面にタコ壷を掘る。一七日の夜は静寂そのものである。毛布にくるまり、冷たい土壁によりかかって微睡む。夜半、伝令の声で目覚める。
「陣を撤退し大隊本部前に集合」
 と伝えている。本部前に集合が終ると
「一八日拂暁、連隊長以下総攻撃を行う」
 と、下命あり。戦車集団に突入すれば、恐らく生きては帰れまい。私の生還を信じ、待ってくれている父母に今暁限りの命ですよと伝える方法はなかった。覚悟は決めたものの密かなためらいが心の片隅で揺れた。
 先発隊が出発するらしく、低く押えた号令が聞こえてきた。もうすぐ出撃命令が下る。覚悟をきめなおした時、
「そのままで聞け。天皇陛下の命により、ソ連軍との交戦を停止し、終戦を迎えることになった」
 闇の中から安堵にも似た中隊長の声が聞こえた。夜が明けると戦場整理に出掛ける。晴れ渡った空の下、大興安領には一発の砲声や銃声もなく、静寂そのものである。風が肌に涼しかった。すでに秋の気配である。
 午後武装解除の際、ソ連兵は自動小銃をつきつけて時計、財布、万年筆などを強奪した。重装備の強盗団に襲われたようなものである。
 隊伍を整え、博克図仮収容所へと行軍を開始した。二㎞進んだ地点に二五四連隊の兵の爆死体が、累々と連なっていた。横たわる爆死体を痛ましく見ながら歩いてゆく私の心は、命令がないとはいえ戦死者を放置したまま去ってゆく後ろめたさに耐えていた。
 同時に日本へ帰れるという喜びに浸っていた。そしてこの道が、飢えと酷寒と強制労働のラーゲリ(強制収容所)に繋っているとは夢にも思わないで、密林に覆われた闇夜の路をひたすら歩き続けた。
 戦さとはいえ、終ってみればソ連軍の一方的な殺戮戦に過ぎなかった。戦車に対する肉弾攻撃。およそ近代戦には程遠い戦い方で、失われた一五〇〇名余の生命を思うと、空しさのみが残った。

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