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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(58)

 大八車二台に食糧を積み、交替で荷車を引きながら、日盛りの小峠を越えた。夕方着いた伐採地は、幅五mの川の傍で川の両側には低い山並みが押し寄せている。すでに他の伐採班が従事した後であった。
 宿舎は川の傍の砂地に、細長い三角テントが設営されていてその数は六つ。内部には囲炉裏風の焚火をする囲いが設けてある。同宿は五人。前職が刑事、すし屋の親父、工員、会社員と同じく会社員の私である。
 私が最若年、刑事とすし屋の親父が四十歳をこえており、他の二人は三〇歳半ばぐらいである。あの初年度の冬をよく持ちこたえたと思われる体格の持ち主ばかりである。テントの中でこれらの年配の連中の話題は、女性に集中し自分の体験を喋っては、大笑いをしていた。楽天的である。だから、体力、年令のハンデイを背負いながらも生き延びたのだろうと思った。私一人が顔を赤くし、大人の世界の一端を覗いていた。
 着いた日の食事は、予想通り無し。翌朝、五分粥が、いつも通り飯盒に三分の一配給されただけである。病人用粥腹で伐採なんか出来んぞと騒いだ。寿司屋の親父が、
「みんな文句を言ったって、待遇はよくならんぞ。黙って鋸と斧を持って山へ入れよ。木なんか切らなくていいから、食物を探せ。カンボーイは粥腹で伐採ができないことを知っている」
 カンボーイ(監視兵)に導かれて、川を渡り山へ入った。カンボーイはそこから帰っていった。寿司屋の親父が言った通りである。全員、鋸と斧を置き食物探しに散った。茸類が多く、箒茸のシマを発見した奴が思わず大声で叫び、私も加わって五、六人がてんでに採った。山ぶどうは酸っぱくて、吐き出した。蛇を追っかけるもの、ねずみを捕えそこなったものなどで、山の中は賑やかであった。
 初日、二、三、四、五日目も同じように過ぎた。だが、カンボーイはノルマなど何も言わないで、私たちを見守るだけであった。
 獲物がなかった日の夕方、捜し歩き疲れて帰る途中、五つの大岩が重なった傍を通り過ぎた。岩と岩との空き地に、赤い色が並んでいるのが目についた。岩に顔を寄せてよくよく眺めた。毒々しいほど赤い傘、真っ白な細い茎である。毒茸のイメージにそっくりである。
 しばらくの間、採って食べよう、いや、それは危ないと自問自答したが、粥腹はしきりに食えよと囁いた。半分の一五本を採り、焼いて恐る恐る少し口に含んでみた。親指を三つ重ねたぐらいの大きさの赤い傘は、甘みがほんのりあって、胃袋に拒絶反応がない。同宿の大人たちに、食べなよ、と勧めたが誰も手を出さなかった。結局私一人で赤色茸を食ったが、無事朝を迎えた。そして残りの茸を採りに走ったが、すでに一本も残っていなかった。
 川にはザリ蟹が沢山いる。誰も捕らないので不思議だった。数匹捕って煮た。殻を割ってみると肉らしいものは、ほんの少ししかない。食える肉が少ししかないので、誰も捕らなかったのだ。都会育ちの私には、そんな知識はないから、大変不思議に思えた。寿司屋の親父は月夜の蟹には、肉はないのと同じだよ、と私の無知を笑った。大人たちは月齢を読むことを知っていたのだ。
 一週間目の朝、ソ連軍の将校がやってきて全員集合を命じた。彼は開口一番私たちの怠慢を詰った。そして、お前たちのような怠け者は、シベリアのラーゲリへ送還すると脅した。しばらく、蟹の泡みたいにブツブツ言っていたが、急に止めて去った。通訳が、三合里の収容所へ帰れと言ったよ、と笑った。

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