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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(22)

 三日目にはノルマ五本を達成し、以後順調に伐採は進んでゆく。平穏な日々が過ぎカンボーイは一度も『ダバイ』(早くしろ)と怒鳴ることはなく、終日焚火にあたりながら時々、猟に林の奥へ出掛けた。銃声は聞こえるけれども獲物を持ってきたのは、一度も見たことはなかった。
 その日は朝から荒れ模様の天候であった。伐採場へ着いた頃から、横なぐりの猛吹雪に変った。奥の方に大焚火をつくり、時々手足を暖めながらの作業になった。荒れ狂う吹雪は、白樺林の中を通り抜ける。焚火の焔が千切れ飛んだ。
 風向きの変化で木の倒れる方向が狂ったが、幸い一人も怪我がなく、暗くなる頃にはノルマを終えた。抑留期間中、もっとも充実した仕事をこなし、最低ながらもっとも優遇されたにも拘らず、復員後に思い出す風景は、絶対にあり得ない赤土の小道を行く伐採班の姿であった。見渡す限り白雪一色の光景に覆われていたあの伐採地は、記憶のそこに隠されてしまうのであった。

   二、シラミ退治

 暗くなると石油ランプがともる。鉄製のペーチカが紫色に変るほど薪を燃やす。だれもがシラミを飼っているのではないかと思うほど、取りつかれていた。夜は各人交替で虱退治に専念した。まず着衣を全部脱いで素裸になる。シャツを裏返して縫目を両手でピンと張る。ぺーチカの煙突すれすれに近付け、素早く動かす。成虫も卵もプチプチと音をたてて弾けた。
 時には手許が狂って、貴重な衣服に焦穴をあけることもあった。そうして全滅させたはずのシラミは、数日過ぎると、當然のように縫目にならんでいた。

   三、監督と樵

 思いがけずノルマを早く達成した日の夕方、宿舎に帰ってもすることはなかった。前の大きな建物の前へ回ってみた。好奇心からである。建物の前面は一寸した広場になっていた。そこには直径五〇㎝前後、長さ六〇㎝ぐらいに切り揃えられた薪材が、広場一杯に立てならべてあった。
 それを右に見ながら、正面入口へ行き内部を覗いた。セメント張りの床に一人用の鉄製の寝台が、ビッシリ並んでいる。屈強な男たちは立っていたり、寝台に腰をおろして、雑談するもの、斧にヤスリをかけているものもいれば、鋸に目立てをしているものもいて、穏やかな雰囲気である。樵の集団だから、荒々しい雰囲気だろうと思っていたが、そうではなかった。その後、何回か覗きに行った。誰一人として日本兵捕虜の貧相な小男に注意を払うものはいなかった。何度目かに覗いていると、奥から出てきた小柄な男が、話しかけて来た。監督らしい風体である。
「夕食のあと、仲間と遊びに来ないか」
 と、誘われた。身振りで判断した。
 夕食をすませ、二人の仲間を誘って監督を訪れた。彼の部屋は大きな建物の裏側、つまり私たちの宿舎の前の、樵の宿舎にくっつけて造られている。
 戸を叩くと待っていたように戸を開け、笑顔で招じ入れてくれた。一人住いである。突当りの正面のペーチカは煉瓦造りで、赤々と薪が燃えている。焚口には鉄板が置かれ、その上の凸凹の薬缶と深鍋がさかんに湯気をふいていた。

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