ブラジル岐阜県人会(長屋充良(ながやみつよし会長)は「県人会創立80周年、移住105周年、岐阜県農業高校生海外実習派遣40周年記念式典」を7月29日、サンパウロ市リベルダーデ区の広島文化センターで開催した。約40人が母県から駆けつけ節目の日を祝した。今年2月に就任した長屋会長(59、関市)は、県人会を活性化し離れていた若手会員を再び呼び込みたい考えだ。来年の日本祭りの構想や、式典に参加した若手会員の声を聞いた。
式典には母県から神門(ごうど)純一副知事、野島征夫(いくお)県議会副議長、4市の市長や副市長、派遣中の農業高校生、地元企業の代表者ら約40人が出席。来賓として野口泰在聖総領事や県連の山田康夫会長らも参列した。
午前10時に祝辞や県人への表彰などで始まり、参列者一同で岐阜県民歌を歌って式を終えた。会食では鏡割りと乾杯で記念の節目を祝した。
長屋会長は「つつがなく進行して良かった」と胸を撫で下ろす。今式典は昔からの会員に加え、県費留学経験者や、会長と縁のある日系企業駐在員、会長の家族など総動員で準備に当たった。
長屋会長は現在59歳で現役のカイロプラクター(手技療法士)、理学療法士としてクリニックを経営。目指すは「若手が参加する会」だ。12年に会館売却、現在はリベルダーデ駅近くのビルに事務所だけ構える。イベントを開催できないことで若手が離れていった。
これまで日本祭りは業者に調理・販売を委託して出店していたが、来年は自分たちでやるつもり。「会が活動していることをアピールできれば関心を示さなかった若手も集まる」とし、「郷土料理の鶏ちゃん(タレに漬け込んだ鶏肉と野菜を焼いた料理)や五平餅を売りたい」と意気込む。
着物姿で来場者を出迎えた大野ルマさん(30、三世)は、南大河州ポルト・アレグレ市から来て式典を手伝った。12年に県費留学で岐阜大学で学び、並行してデカセギのための医療通訳を務めた。普段はポルト・アレグレ市で理学療法士として働きながら日系社会の活動に参加する。
大野さんは「県費で留学させてもらった恩がある。こうして使えば日本語を忘れない。その方が自分のためになるわ」とし、「子供ができたら小さい頃から県人会の活動に参加させ、日本語も教える」と話した。
県費留学研修に行った若手の大半は、その後疎遠になる。大野さんのように関わり続ける人は珍しい。長屋会長は「来年の日本祭りには多くの人に声をかけ、準備から盛り上げていく。一緒に何かをすることで若い人たちに岐阜精神を伝えたい」と意気込んだ。
岐阜県人の移住は1913年に、11家族44人が神戸港から若狭丸で出航し、5月15日にサントス港に上陸したのが始まり。県人会の前身「在伯岐阜県人親睦会」が1938年に発足したが、太平洋戦争の勃発後、日本人の会合を禁じられ活動を停止。54年に有志が再び集まって、現在の県人会を設立した。
78年に始まった「農業高校生海外実習派遣」は、高校生をブラジルに派遣し農業研修を受けさせる制度。これまでに400人以上がブラジル各地の農家を訪れ県人、日系人と交流を深めた。
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岐阜県人会の長屋会長は、母県に岐阜県事務所をブラジルに設置するよう掛け合っている。「県人会県で運営し県の予算や人員を要さない方法を想定している。正式に岐阜県の事務所をなれば、母県の中小企業がブラジルに進出する際のサポートや観光地情報の発信など出来ることは多い」と言う。「農業高校生海外実習派遣」や「県警派遣語学研修」など母県との人的交流が豊かな同県人会。県事務所が設立されればより関係が強化されることは間違いない。
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岐阜県人会創立80周年式典では、一般財団法人国際クラブ(青山るみ・青山英世理事長)の高橋雄造専務理事が、県人会と県連に200万円ずつ手渡した。国際クラブは岐阜県にあり、災害や日本語学習などにおける幅広い支援を行っている。これまでも岐阜県人会に寄付を行っていた。高橋専務理事は「発展のための尽力に敬意を表しました」と寄付の理由を説明した。長屋会長は「運営のために大切に遣わさせていただきます」と話した。県連の分はイビラプエラ公園の慰霊碑の管理費などに充てられる予定だという。