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大統領選の行方は、本当に「不透明」か

PSDB党大会で大統領候補に選ばれたアウキミン元サンパウロ州知事(Jose Cruz Agencia Brasil)

PSDB党大会で大統領候補に選ばれたアウキミン元サンパウロ州知事(Jose Cruz Agencia Brasil)

 23日のブラジル日本商工会議所の部会長シンポ(7面に詳報)で驚いたのは、口裏を合わせたかのように大半の発表者の口から「大統領選の行方が不透明」という言葉が出てくることだった。つまり極右ボルソナロ、左派のマリナやシロ・ゴメスが当選して極端な経済政策をとって混乱するのではないかという類の心配のように見えた。

 唯一、機械金属部会からの「ブラジルの政治・経済には変動と先行き不透明感はつき物であり、一喜一憂するのは得策ではない」との言葉に溜飲を下げた。

 「不透明感」という言葉を繰り返し聞くにつれ、天邪鬼なコラム子が感じたのは「透明な大統領選があったか?」、もしくは「ブラジル経済の先行きが透明だったことがあったか」という疑問だ。

 コラム子にとっては、ルーラ政権中の好調期の方が例外だ。それ以前は延々とインフレ経済が続いていた。だから「経済先行きが不透明」が通常であり、「将来への見通しが透明」という右肩上がりの時期こそが珍しい。

 予想が大外れする可能性を前提に、個人的な見方を披露させてもらえば、大統領選の見通しはいたってシンプル。大事件さえ起きなければ、アルキミン勝利で終わる可能性が8割と見ている。

 支持率ダントツ1位のルーラは、司法界の本流から蛇蝎のように嫌われている現状からすれば、弁護士の主張がどんなに正当であっても出馬できる可能性は限りなく低い。PTはルーラ支持票をハダジに乗り移らせるつもりのようだが、1~2週間の政党テレビCMでそれを実現するのはほぼ不可能。第一に現状でハダジの知名度が低すぎだ。ジウマの時のように腰をすえてじっくりやらないと難しい。

 続くボルソナロは〃ブラジルのトランプ〃などと言う人もいるが、まったく違う気がする。唯一の共通点といえば「右寄りの暴言」を武器にして得点を稼いできた点だけだ。裏を返せば「反ルーラ勢力」の声を集めて今の支持率を作ってきた。ルーラが強ければ強いほど、ボルソナロにも支持が集まる反作用が働く。

 問題はルーラが出馬不可となった場合(可能性大)、ボルソナロへの支持も腰砕けになる可能性があることだ。その場合、ボルソナロはマリナ叩きで票集めに走りそうな雰囲気。いずれにしても反左翼票狙いだ。

 一番読めないのが抗議票の行方だ。「左派候補はイヤだ」、かといって「旧態依然としたアウキミンにも入れたくない」という人がたくさんいる。今までエネアスやチリリッカに入れてきた層が数百万人いる。

 彼らは「評価できる候補が誰もいない」という抗議の意味をこめて、あえて「非現実的な候補」に投票する。白票や棄権の多さに加えて、今回の特徴はきっと「抗議票」の多さだ。

 だから1回目の投票で過半数を取れる候補がおらず、決選投票になる。決選投票はルーラ票を取り込んだ左派候補(シロかマリナ)対アウキミンの可能性が高い。

 マリナの問題点はきれいごと、理想主義すぎる傾向だ。ブラジル政治家として一番大事な能力である、まったく主張の違う政党や政治家を一つにさせる度量が大変低い。

 これはシロやボルソナロにも言える。その能力があれば、元々ある高い支持率をバックに、すでに大連立を組めていたはず。でもまったくダメ。その部分が決選投票では、彼らの命取りになる。

 その点、最も魑魅魍魎な集まりであるセントロンを最初から味方につけたアウキミンは強い。彼は31日からのテレビCMで反ボルソナロ・キャンペーンを始め、自分の支持票に引っ張ってくる方針との報道があった。

 昨年末から現在までのところ、コラム子の予想が大外れしたのはMDBだ。メイレレスがあそこまで出馬に固執し、MDBを乗っ取って選挙活動に突入するとは想像できなかった。だが、決選投票ではアウキミンに合流する気がする。

 部会長シンポの後、「日本から到着して3時間」という人と話をしていて驚くような言葉を聞いた。

 パンタナールが大好きで3度目の訪問というその人が「ブラジルの大自然はスゴイ。それに比べれば日本の自然なんて箱庭、チャチイもんですよ」と繰り返し言うのを聞いて、奇異に感じた。

 サンパウロ市に住む者にとっては、次々に台風や地震、猛暑が襲う日本の自然こそが脅威だと感じる。たしかにパンタナールは動物がたくさん見られる。だが都市に住んでいれば関係ない。有難いことにサンパウロ市では台風、地震、猛暑、極寒もない。ブラジルは放っておいてもバナナとマンジョッカは生えてくるから食べ物には困らない。

 日本は厳しい自然に鍛えられたから、あのような高度な文明を育んだのだとつくづく感じる。そんな風土を比べた時、日本の自然環境の方がはるかに繊細かつダイナミックだ。

 そこでふと気付いたのは、「何をもって不安定と感じるか」だ。

 コラム子は「ブラジル経済は先が読めず不安定なのが当たり前」と思っているから、現状が「特に不安定だ」とは思えない。だが短いスパンで経済を分析する金融業界の人や、当地の動静になれない人には「不透明感」「不安定感」が強いかもしれない。

 逆に、日本の人は「厳しい自然が当たり前」とか「地震、台風は仕方ないもの」と諦観できているが、祖国を離れて数十年経つ身からすれば、日本の環境は「いつ巨大地震に襲われるかもしれない」「いつ洪水の被害に遭うかわからない」不安定な環境にも見える。結局は何を当たり前と感じるかという〃常識〃の問題かも。(深)