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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(49)

 ノーバヤを出発する時の角砂糖二個といい、今日の桃缶といい、かつてなかった些細な待遇改善は、間違いなく帰還の前触れかもしれない。
 ソ連は捕虜の送還に当たって、少しでも良い印象を与えておこうと、子供騙しのような気配りをしたのだろう。あれ位のことでよい印象など、日本に持って帰るわけにはいかないよな、と奴らの浅知恵を笑ったものだった。
 帰還が実現したのは、それから半年後の、昭和二二年一月であった。

  二一、ポセットで使役

 何日円形テントで過ごしただろうか。毛布を体に巻き地面に横たわって寝るのが、苦痛にならない良い気候である。そんなある日、使役に出てくれと、触れがきた。人員はテント二つ分の八名である。
「軽作業だから心配しなくていいよ。毎日八人から一〇人が交替で行ってくる。食料保管庫の整理だから、遊び半分行ってこいよ」
 と、通訳の説明である。
 テント群の丘を越えると、向かいの丘にびっくりするほど大きな円形テントが見えた。内部にはいろいろな食料品が品種別に山ほど積んである。使役と言うのは、テント内を通路に沿って歩き、荷崩れしている品物を、元の場所に揃えて置くことであった。
 モルドイのラーゲリでは、ソ連兵舎の食糧庫の整理に行き、結構な役得にありついている。今日はうまい話になるぞと、北叟笑んだ。
 傾斜に沿って造られた狭い通路を歩きながら、左右に目を配り、荷崩れを探す。荷崩れなど全くなかった。目移りがするほどの幾種類もの缶詰、パン、煙草などが山積みである。不思議に用紙、鉛筆などはなかった。
 戦友と歩きながら小型缶詰を狙ったが、通路の角にはかならずカンボーイが立っていて、宝の山に入りながらみすみす手ぶらで帰った。帰る途中、妙な感情にとらわれた。毎日二組か三組が、食糧庫の整理に行くということ自体不自然なのである。
 あの食料は到着した捕虜に、最初の日だけ少量ずつ配るものなのだ。荷崩れなどするはずはないのに、使役と稱して庫内を歩かして品物を見せる。つまり、これほど多くの素晴らしい食物を捕虜のために用意しているんだと、誇示するための使役だったのだ。だから通路の角毎にカンボーイを配置して盗難を防いだ。その証拠に桃の缶詰の配給は一回きりであったし、黒パンも一切れが一回だけだった。毎食デザートを支給すれば、食糧庫の甘味品は、数日でなくなったに違いない。僅か一回だけと言うデザートで、私たちに良い印象を与えようなど、ヘソが茶を沸かすぞ、と見えすいた待遇を嘲笑ったものだった。
 捕虜を乗せた列車は数日毎に到着していた。貨車で来るものもあれば、客車で来るものもいた。それらを眺めていると、不審が湧いた。到着する捕虜は、確実に増えているのにテントの増設はない。先着の連中はどこへ行ったのだろうか。疑問は数日後に解けた。朝、浜辺に集合させられた総勢五〇〇人余りは、海沿いの小道を南下し、草いきれの小峠を越えた。眼下の小桟橋に小汽船が繋がれている。峠を下ってゆくにつれて、船の後方にロシア文字の船名が見えてきた。先頭から騒めきが伝わってくる。
=あの船で日本へ帰るんだ=と、いっている。

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