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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(68)

 ソ連軍将校の中には日本語を私たちより上手に話すものがいる。彼もその一人で連れの将校も、理路整然と語った。東さんがみんなを見回して言った。
「俺たちが生きて帰ってこそ、死んだ戦友たちの霊も浮ばれると思うが、みんなどうだ」
 全員黙ってうなずいた。しかし翌日私たちは第一船からはずされ、嬉々として埠頭に向う戦友の列を見送った。

  二三、帰還船に乗船

 十二月二九日、第二船が入港。
 私たちは司令官の挨拶を受け、ソ同盟萬歳とスターリン萬歳を三唱して埠頭に向った。いよいよ本当に帰国できるんだという実感は、言葉に言い尽くせなかった。埠頭に横付けされている船は、近づくに連れて見上げるほどの大きさになった。
 船名は第一大海丸。未だにしっかり頭に刻みこまれている。舷側には、老年のソ連将校がただ一人立っていた。彼は一人一人に手を差し出しては握手し、
「ドスベダーニア」(さようなら)
 と、別れの言葉をかけていた。彼の手は柔らかく多くの握手をするために熱かった。  
 昨夜まで夜盲症は回復の兆しはなく、夜になると戦友の手を煩わしていた。上がった甲板から船倉に降りる際、戦友はいつものように私の手を握り、幅広い木製の階段を導いてくれた。船倉には薄暗い裸電球が一つぶらさがっているが、私には電球のタングステンの光だけが見えて、その外は暗闇である。
 尿意を催し、戦友に手を曳かれて、甲板上の便所へ行った。小用をすまし、船倉への階段に足を下ろしかけて、あっ、と驚いた。つい先程まで暗闇でしかなかった船倉の内部や階段が、淡い電灯の明かりに朧げながら見えるではないか。
 四ヶ月もの間、夜盲症で苦労し戦友に迷惑をかけ続けてきたことが、まるで嘘だったように次第に物の形がはっきり見分けられてくる。
「そんな、突然―」
 私の面倒を見てくれた戦友は、信じられない顔で言葉を途切らした。
「本当なんだ。見えるんだ」
 帰国の実現が精神に活力を与え、それが衰えた肉体の欠陥を急激に補ったものだろうか。
 四ヶ月も私の手を曳いて、厭な顔もせず、夜の便所通いを助け、親身に世話をしてくれた、戦友の顔と名前が、どうしても思い出せない。夜の付き合いがほとんどだったから、顔が思い出せないのかと考えたが、名前を失念したことは弁解の余地もない。私の失態であった。心底、彼の好意に有難い気持で一杯だったのだがー。
 三〇日夜半、エンジンの振動が伝わってきた。いよいよ日本へ向って出航である。

  二四、日本の灯りが見えた

 三一日夜半、甲板から叫び声が上がった。
「灯りが見えるぞ。日本の灯りだ」
 はね起きると、我先に甲板へ駆け上がった。遥か左舷の彼方、暗黒の中に二つ三つ灯りがかすかに瞬いていた。暗い甲板を埋めつくした帰還兵の間に、声にならない、どよめきがひろがった。嗚咽が湧きあがり、涙がとめどなく頬を濡らした。

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