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ドラセーナ文体協=400人で盛大に創立70周年=田村会長「先人の遺産を次世代に」=記念誌刊行、記念プレート除幕も

式典で挨拶を述べる田村会長

式典で挨拶を述べる田村会長

 ドラセーナ文化体育協会(田村エルメス会長)は「ドラセーナ日本人会創立70周年、ブラジル日本移民110周年記念式典」を20日夜、同会館で開催した。今年は1988年に開催された「第3回世界ゲートボール大会」で同会ゲートボール部が優勝を飾ってから30年、さらに今年9月の「第15回全伯太鼓大会」ジュニアの部で同会太鼓部「清心太鼓」が優勝するなど祝福ムードのなか、約400人が出席し、節目の年を盛大に祝した。

 ドラセーナ市は聖市から西に650キロ、パウリスタ地方の一番奥で、もう少しでパラナ州境。「聖州最後の新開地」として1945年に開拓が始まり、49年には市制開始、現在では人口4万6千人にまで発展した新しい町だ。
 日本人移住は市制開始以前の47年に始まり、パウリスタ沿線を中心に新天地を求める転入者が相次いだ。翌48年9月に日本人会は結成、市と共に発展してきた。
 開拓初期から市建設に貢献してきた経緯から、市から土地の寄贈を受けて51年に旧会館が落成。現在の会館はかつて野球場だった土地に87年に建設され、沿線屈指の規模の会館として知られる。現在会員は約二百世帯。会館のほかにゲートボール場を有する。
 式典は午後8時前、ブラジル日本移民110周年を伝えるビデオ映像で始まりを告げ、日伯両国国歌斉唱が行われた。
 開会挨拶した山本アウベルト実行委員長は、この一年間に実施された周年事業を振返り、会員の協力に謝辞を述べた。「奮闘し犠牲を払って、二世が日本人会を維持継続できるよう基盤を築いた先人に感謝を表したい」と語り、70周年記念誌が無事刊行されたことを報告した。
 ジュリアーノ・ブリト・ベルトリーニ市長は「会館で成長した私にとって感激も一入」と語り、会館に通って柔道を習っていた逸話を紹介。世話になった日系人を〃心の友〃と呼び、「市長として再びここに立ち、周年行事を分ち合えるのは大いなる喜び」と日系社会との関係を強調。「この町が知られるようになったのも、汗を流して悲喜を共した皆さんのおかげ。政治的立場とは関係なく、新たな時代を共に築いていきましょう」と語りかけた。
 その後、ロドリゴ・ロセッチ・パーラ市議会議長も「日本移民は自国の文化を持込み、ブラジル発展をもたらしてきた。これまでの全ての貢献、ブラジルの発展と知能向上のために今日活動されている皆さんに感謝申し上げたい」と賞賛。ブラジルゲートボール連合の本多八郎会長、汎パウリスタ日伯文化協会連合会の河崎ロベルト会長らも祝辞を述べた。
 最後に、田村会長が「今宵、日本人会は新たな段階に入った。素晴らしい価値観と文化を残した先人に対し、今を生きる我々は受継いだ遺産を忘れず、次世代に引継いでいかなくてはいけない」と決意を表明した。
 挨拶の後、記念プレート除幕、来賓に記念品贈呈、歴代会長に表彰プレートを授与。コーラスが唱歌「故郷」等4曲を披露し晩餐会に。最後は来年、日本大会に出場する「清心太鼓」が一糸乱れぬ圧巻の演奏が披露され、割れんばかりの拍手喝采となった。宴は深夜12時過ぎまで続き、盛況うちに閉会となった。


■ひとマチ点描■セントロの百周年遺産

セントロにある日本庭園

セントロにある日本庭園

 ドラセーナ市のセントロにあるアルトゥール・パノッチ広場の一角には、600平方メートルの日本庭園がある。これはブラジル日本移民百周年を記念して、ドラセーナ文化体育協会と市が共同で建設したものだ。
 当時、会長だった岡本英樹さん(79、二世)の案内で広場に進むと、鳥居、五重塔、小さな和風建築の建物が見えてきた。鳥居をくぐると移民の歴史を伝える金属板もあるが、剥がされているものや落書きも目立つ。
 屋根や縞鋼板の床も腐敗が進んでおり、「市と改装する話も進めている」という。かつてはその隣に庭園があり、池には錦鯉も放たれていたが、管理が不能となり6年前に撤去。いまでは池に架かっていた橋だけが広場に残されている。
 岡本元会長によれば、もともと日本庭園は街のはずれに建設される話だったが、「何とか目につく場所に作って欲しい」と懇願して広場になった。落成式には特設舞台が組まれ、日本文化のマニフェスタソンが行われるとともに、広場の横を通る200メートルの大通りで、行進も行われるほどの盛大だったとか。
 維持管理は大変だが、目立つ場所なだけに何とかしたいところ。移民110周年を機に、親日家の市長によって修理改装されることに期待したい?!(航)


□関連コラム□大耳小耳

 ブラジル日本移民80周年を記念して、海外初開催された「第3回世界ゲートボール大会」。世界8カ国から128チームが参加するなか、優勝を飾ったのがドラセーナ文協だった。ゲートボール部発足から、わずか3年目の快挙だった。当時の部員で、今も現役でゲートボールを続ける吉村武(94、広島県)さんは「ブラジルではスザノ福博村で78年に始まった。大会当時はどこのチームも発足から5年ぐらいだった。それでも日本のチームと3戦あたって全部勝利した。海外の開催だから必ずしも強いチームが来ていたわけではないが、優勝したときは感激で涙が出たよ」と昨日のことのように鮮明に語った。
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 今年も110周年を記念して世界ゲートボール大会が聖市で開催された。ドラセーナは汎パウリスタ地方を代表し出場したが敗退。吉村さんは「自分は出場しなかったけど、惜しいところでペルーに負けたよ」と悔しそうな表情。現在、文協には8つのゲートボールコートがあり、その内4つはナイターでもプレーできるよう照明が設置され、2つは屋根付きという充実ぶり。「日中は皆仕事で忙しいから、いつも夜に集まって練習する。歳とってもレクリエーション(娯楽)としてできるのが魅力だね」と矍鑠と話した。

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