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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(71)

 私はあの夢と同じように、裏へ回って勝手口の戸を開けた。台所の板の間に両親は並んで行儀よく座り、私の帰りを予期していたかのように私を見つめた。二年の間に、すっかり老いてしまった両親の頬に涙が流れた。 
 夢で見たとおりであった。
 夢では母は私の好物の特大の厚焼卵を作ってくれた。現実では釜一杯に白米を炊き存分に食べさせてくれた。シベリアに抑留中、私を支えてくれた夢の全てが、正夢となって終わった。
 満州国興安北省、大興安嶺イレクト地区における一五〇〇名の戦死者及びシベリア、チタ州海抜三〇〇〇メートルのソションド山脈の三ラーゲリ、帰還途中で病没した七五〇名、合計二二五〇名の霊に対し、心より冥福を祈り、遥かなるシベリアの空に、熱い思いを馳せながらペンを擱く。 合掌


  後 書

(一)四七年後の将校グループの一人について
  
 一九四六年五月末に、ラーゲリを脱出するまで私は将校グループを許さなかったし、反抗の姿勢を崩さなかった。脱出後、将校グループと接触が切れると彼らに対する憎悪は次第に薄れ、帰還後はあんなことがあったなと、たまに思い出す程度であった。
 あれから四七年目に、ラーゲリ跡へ墓参に行った時、同行七名の抑留経験者の中にモルドイ村にいたものが、私以外に三人もいた。 歩兵中隊の田端博と通訳であった黒田敏明と将校グループの一員であった見習い士官の大園次男である。
 三人とも見覚えがあり、彼らも私を覚えていた。(田端とは同年であったからラーゲリのことを、何かにつけてよく話し合ったし、黒田は他の二箇所のラーゲリへよく派遣されていたから、話題は豊富であった。大園は食料を横領した上、遊び暮らして部下を見殺しにしたことや、食缶事件で小之原が私に制裁を加えたのち、追い討ちをかけるように私に謀殺を仕掛けたことなどが、将校グループの一員としての負目を、心の片隅に燻らしている様子がみてとれた。
 彼は私を意識して、田端や黒田のように打ち解けようとしなかったが、二度ほど私に話しかけてきた。最初に 「小之原は熊本県の地方新聞社の記者をしていたが昭和三五年ごろ死んだよ。 それからわしらも四六年八月にノーバヤに移動し、みんなと同じように働いたんだ」 であったが、私は黙殺した。
 新潟空港に帰着し、ロビーでお別れの挨拶を交わした後、大園が傍に寄ってきて言った。
「今夜新潟に一泊する予定だったんだ。高松市を発つ前に調べたところ、シベリアからここに着き、その日のうちに高松へ飛ぶ便はないということだった。だから翌日の便で帰るつもりで、部下に××ホテルを予約させておいた。だが今飛行機の便を訊ねると、三〇分後に飛ぶ便があるというから、それで帰ることにした。ホテルの予約をキャンセルしないでおくから、わたしの代わりに泊まってくれ。会社からホテル代を払いこんでいるはずだが、それは君にプレゼントするよ」
 と、こうである。
「ご好意有難う」
 と、礼を言って分かれた後、そのホテルに電話を入れて確かめた。彼が言った予約もホテル代の振込みも、何一つしていなかった。

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