ホーム | ブラジル国内ニュース | 「引き受けるべきじゃなかった」=「イタリアのラヴァ・ジャット」関係者がモロ判事の法相就任に警鐘

「引き受けるべきじゃなかった」=「イタリアのラヴァ・ジャット」関係者がモロ判事の法相就任に警鐘

モロ判事(Foto Lula Marques)

モロ判事(Foto Lula Marques)

 ブラジル最大の汚職捜査「ラヴァ・ジャット作戦」での活躍で国中の評価を獲得しながらも、極右のボウソナロ新政権での法相就任で評価が二分されてしまったセルジオ・モロ連邦地裁判事。そんな中、「イタリアのラヴァ・ジャット」と呼ばれた汚職捜査を担当した判事のひとりが、モロ氏に警鐘を鳴らしている。
 モロ氏は2014年から始まったラヴァ・ジャット作戦を担当し、ブラジルの歴史上、もっとも厳しい第一審の地方判事として、数多くの政治家や企業家を断罪し、その存在は国際的にも有名となった。
 だが、かねてから保守政党との結びつきの噂が絶えず、18年大統領選の世論調査で支持率1位だった、左派の代表党・労働者党(PT)の大統領候補だったルーラ元大統領に、有罪判決を言いわたし、出馬の無効につなげた。さらに、大統領選一次選の6日前に、旧ルーラ政権元閣僚のアントニオ・パロッシ被告の暴露証言公表を了承し、ルーラ氏の代理候補フェルナンド・ハダジ氏にダメージを与えた。
 これらのことがあった直後にボウソナロ氏からの法相就任依頼を受け入れたことで、かねてからのルーラ氏、PTの支持者だけでなく、そうでなかった国民からも、「これまでの判断は公正に行われていたのか」との疑問をつきつけられることとなっている。この点に関してはモロ氏自身も自覚しており、何年にもわたり、「自分の裁判の信用が落ちてしまう」として、政界入りを否定し続けてきた。
 モロ氏をよく知る知人の弁によると、そんなモロ氏が政界入りを決めたのは、同氏がラヴァ・ジャット作戦のヒントにしたという、90年代前半のイタリアでの大型汚職捜査「マーニ・プリーテ」で注目された判事、アントニオ・ディ・ピエトロ氏も政界入りを果たしたからで、それで自分もそれに続こうと思ったためだ、という。
 それに対し、マーニ・プリーテ担当判事のひとりだったジェラルド・コロンボ氏はモロ氏に警鐘を鳴らしている。同氏はその理由のひとつに「タイミング」をあげる。
 「ディ・ピエトロ氏の場合、マーニ・プリーテがひと段落するまで、政界入りを1年半待った。さらに、彼が選んだのは子どもや労働者相手のもの(公共労働相)だ。文化を変えるためには、教育そのものを変えなくてはならない」として、モロ氏の法相就任にも不満を示している。
 さらに、イタリアの大学教授でマーニ・プリーテを専門とするアルベルト・ヴァヌッチ氏も、BBCブラジルの取材に対して、「絶対に断るべきだった。国民が、これまで彼が行って来た裁判の結果は政治的なものだと思ってしまう」「権力というのははっきりと分離されなければならないのに、この場合、政治と司法が曖昧できわめて危険だ」と問題視している。
 もっとも、マーニ・プリーテとラヴァ・ジャットでは似た事態もひき起こされている。それは「ポピュリスト政治家」の台頭だ。イタリアではマーニ・プリーテ後、国民が政治不信に陥ったことで、1994年に企業家のシルヴィオ・ベルルスコーニ氏が首相になった。同氏はその後、計4回首相になるなど、同国の政治で強い影響力を持つに至ったが、数多くの汚職への関与でも有名となっている。ベルルスコーニ氏台頭は、米国でのトランプ氏の台頭や、今回のブラジル大統領選でのボウソナロ氏のそれとの引き合いに出してよく語られている。
 なお、ディ・ピエトロ氏の政界入りはベルルスコーニ氏に対抗した中道左派のロマーノ・プローディ氏の閣僚としてであり、同氏の第一期政権(1996~98年)で公共労働相、第二期(2006~08年)でインフラ相に就任。モロ氏の場合とは政治的な立場がまったく異なる。(4日付UOLサイトより)

image_print

こちらの記事もどうぞ