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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(5)

 印刷物の顔と旅券の顔が同一人物かどうか確認し、入国の判をおし、白紙のページに渡伯にさいして利用した交通機関や日付けなどを規定どおりに記載した。荷物を点検し、最後にブラジル国に正式に受け入れることを認める、というスタンプをおす、これが彼らに与えられた任務だった。
 自分の国でも関係機関の命令にきちんと従うということに正輝は慣れていたから、異国の地でも、同じようにふるまい、おちついて待った。手続きがなかなかはかどらないことが分っても、必要不可決な儀式のようなものだと考え、順番を文句もいわずに待ちつづけていたのである。
 とはいっても、数百人ではない。二千に近い人数だ。ブラジルの小役人どもの好奇心にあふれる目に映るのは、規律正しい小さな人間の群れだった。それも、航海中の恐ろしい惨劇がなければ、列はもっと長かったはずである。
 それなのに、長蛇の列ができてしまった。正輝は待ちながら、たいくつを紛らわすために今までのことを思い返してみた。

 正輝はちょうど84日前の1918年4月25日、希望と夢に燃えた1800人の日本人といっしょに神戸の港にいた。(当時の著名な新聞には1796人と記されている)政府が発行した宣伝ビラに書かれている「金のなるコーヒーの樹から札束をもぎ獲ろう」という気持ちで、若狭丸に乗船したのだ。ブラジルでコーヒーを獲ることは、この沖縄ではとうてい手のとどかない金額を、短期間に手にできる方法なのだった。短期間に金を稼ぎ、故郷にもどり、もち帰った金で、よりよい生活を始める、そう夢見て乗船した。
 ところが、神戸からシンガポールまでの、わずか三分の一の旅程で起きたことを目にしたとき、希望がゆさぶられる思いがした。希望をもちつづけるには強い信念が必要なのだと悟らざるをえない。ショックを受けたのは叔父たちも同じだった。苦い経験を経て、終着点、サントスに着いた。着いたばかりのいま、彼らから離れることはできない。
 航海が始まったばかりのころは苦しくて、船の揺れになじむのに難儀した。4~5日後にはそれほど揺れを感じなくなったが、琉球列島の海域に入って、まもなく、沖縄を通ると告げられた。この通達はこれまで過ごした3週間が何の意味もなかったような印象を与えた。沖縄から時間をかけて神戸までいったのに、何枚かの書類に書き込みをし検閲をうけ、また沖縄の沖を通っているのだ。
「どうして沖縄で手続きさせ、ここからすぐ船出しなかったのだろう?」
といきり立ったものだが、彼には移民を取り扱う機関は神戸一か所だけで、全ての移民は神戸から出るということが分っていなかった。
 しかし、そこを過ぎてすぐ、何かわるいことが起こるような気配を感じた。琉球列島を過ぎ、大陸と台湾の間の南シナ海を通り、フイリピンに近づこうとしていたとき、若狭丸は最初の台風に襲われた。経験者はそれほどひどい台風ではなかったという。ひどい台風ではないというが、船は傾き大勢の乗客が船の片方に、まるで人が折り重なって山ができるような揺れはなんというのだろうか。そのなかで、船の揺れなどたいしたことではないと正輝は自分にいい聞かせた。旅は想定外の状況に耐えなければならないものだ。これから先、生き延びるために最悪な状況を予想していたにせよ、はじめの寄港地に着くまでに起きたことは、彼にも同船者にも予想をはるかに超える事件だった。

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