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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(37)

 当時の状況からして、情報が流布するのは困難なはずだが、しかし、サンパウロ州指折りの旧家だったサン・マルチニョ農園の主が、カンピーナス農務局が25日の明け方の最低気温がマイナス1・5度と記録していたことを知らないはずはなかった。(カンピーナスは正輝が汽車で通って強い印象を受けたジュンジアイの次に通った町だ)。ふつう成樹が耐えられる最低気温は2度だというから、その明け方、その2度より4度ちかくも低かったことになる。コーヒー樹は寒風にさらされ、葉は枯れてしまった。つまり記録されたマイナス1・5度はコーヒー栽培に多大な被害を与えたのだ。
 一か月前のコーヒーの被害で、正輝たちは霜の恐ろしさを知った。神から祝福された土地と聞かされていたのに、自然現象の恐ろしさを身をもって知ったのだ。たしかに台風、地震、津波の怖れはない。それはうそではない。いつも聞かされていたのは、ここはいいところだという言葉だった。
 しかし、これがコーヒーの樹海に生きる者たちに降りかかる問題の、氷山の一角だと気づくのにそう時間はかからなかった。
 まず、食べ物。この問題はすでに移民収容所で経験ずみだったが、農場の購買部にも収容所と同類の品物しかないことがわかった。米は日本で食べる水気が多く粘りのある飯ではないとすでにきかされてはいた。飯は塩と豚のラードで炊かれ、当初、その見かけの悪さで家族中に敬遠された。豆はほかに方法もなく副食として食べざるを得なかった。煮るには時間がかかるが、味付けにベーコンとラードを使うので、豚肉を食べつけている沖縄人にはある程度受け入れられたのは幸いであった。
 だから、時間が経つにつれ、フェイジョン(主食は米だが、副食物としてのフェイジョンは大きな存在だ)は家族の好むもののひとつなっていった。もし味噌、醤油、漬物があれば食事の質も品数も多くなっただろうが、ブラジルにはなかった。
 おかずには乾し肉と干し鱈を使った。そのまま食べるのではなく、野菜類といっしょに煮こみ料理の味を引き立たせようと考えたのだ。日本では料理にうまみを加えるために、「だし」がつかわれる。だしはほかの材料といっしょに日本人が好む特有な料理の味をだした。
 干し鱈は畑仕事をする者たちにとって、鰹のだしに代わる最適なものだったが、農場には野菜などなかった。コロノとよばれるコーヒー園の契約労働者には野菜を食べる習慣がなかったのだ。
 サン・マルチニョ耕地に着いた翌朝、彼らには早急に解決しなければならない問題があった。まず釜戸でつかう薪、ベッドを寝やすくすること(もし、可能ならの話だが)、テーブルと椅子を造ること。つまり、生活するために最小限必要な物をそろえることだった。のこぎり、かなづち、釘、斧などの道具は農園の事務所が貸してくれた。また、各戸ごとに、必要な木材が渡された。
 正輝は道具を使ったことがなかったが、叔父を手伝っているうちに、すぐのこぎりで切ったり、釘を打ったりするのを覚え、その仕事が大いに気に入った。毎日食事をするテーブルと3脚の椅子を手早くつくりあげてしまった。自分でも家具作りや大工仕事に向いていると感じたほどだ。

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