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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (65)

 房子はルス駅のこちら側には何の興味もしめさなかった。そこで、こんどは反対側の色とりどりのネオンが輝く中心地に向って歩き出した。そこにはまだ大勢の人がいた。郊外電車を利用する労働者はルス駅で降り、駅の周囲にあるバスの停留所まで歩き、バスに乗って各方面の家路につくのだ。まだ、道は行商人でにぎわっていた。彼らはそこを通る人たちの気を引くように大声や金切り声をはりあげて商品を売っていた。
 ビルの上に輝く色とりどりのネオン、舗道をゆきかう人のあわただしさ、コンセイソン大通りを走る市電のきしむ音、そして、商人たちの騒々しさ。これらすべてが房子にとってサンパウロはわくわくする興味深い町に映った。日本の最も重要な港のひとつである神戸の町を歩いたことがあるが、印象がまるで違った。あそこはすべてが整っていた。清潔な町ではあったが、なにもかも整いすぎて、決められた通りにものごとが運ばれていた。すべてに定規があてられているようだった。沖縄のいなか娘は神戸の街に圧迫感をいだいたのだが、いま、こうしてルス駅のサンパウロの中心街の間に立っているのに、息苦しい気分などまったくない。
 自分はこのようないきいきした気分を感じたことは、今だかつてないことだった。ルス駅付近をこころよい気持ちで歩き回った。そればかりか、50日前、神戸を出港してからはじめて、しっかり地面を踏みしめた機会でもあったのだ。もっと歩き回りたかったが、サンカルロス行きの汽車に乗る時間が迫っていることに気づいた。
 夜間の300キロほどの走行だった。2等車の座席で、座り心地がよかった。
 房子は車掌が乗車券に穴を入れるのを注意深くながめ、それから、白い制服を着て、帽子を被った乗務員が手押し車でサンドイッチ、菓子、飲み物を売って歩くようすを観察した。倹約しようと夜汽車のなかでは何も買わなかった。夕食のかわりに、コンセイソン大通りのバールでサンドイッチを食べ、すでに、金を使っていたからだ。各駅停車だったので8時間以上かかったが、その間ほとんど眠りっぱなしだった。サンカルロスに降りるころには夜が明けようとしていた。
 タバチンガまでは、いま一度乗りかえなければならなかった。リベイロン・プレット、ドウラド、ボア・エスペランサ・ド・スール、ガルボン・ペイショットそのほかいくつかの駅を通過するのだった。
 ドウラデンセ線はアララクアラ線よりずっと気楽だった。アララクアラ線は、奥地の都市近くの農村の人たちが利用する「ジャルジネイロ」とよばれるおんぼろバスが公共の乗り物だった。乗客はほとんど農民で、座席の間の通路は家畜や荷物でいっぱいだった。ふつうの荷物は列車の屋根近くの上の棚におかれた。乗客は荷物が雨やほこりにさらされないよう、また、運行中、荷物が頭の上に落ちてこないか気をつけなくてはならない。それでも、村の人々は便利になったとよろこんでいた。むかしは馬車で運んでいたのだ…。
 房子はタバチンガにまるでお祭りのような雰囲気で迎えられた。安里の妻、家族みなから優しくよばれるハーメー(おばあちゃん)、5歳のやんちゃな長女フミコ、1歳年下のユキエのほか、近所の仲間のなかに家長の友人正輝の姿もあった。戸籍上の夫である幾三郎については誰もふれなかった。サントスに下船したとき冷静に房子に伝えたように、みんなにも伝えてあった。

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