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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(95)

 正輝夫婦は樽の頼みを、躊躇せずひき受けた。困難にある縁者への援助は、先祖への功徳である。名を汚さない行為は沖縄の最も重要な道徳観で、ブラジルでもこの道徳観はひき継がれていた。5~6年前、姪のウサグァーが移住し、ルセリアに向う途中、タバチンガを訪ねてきたときに顔をあわせていた。その姪がいま最悪な状態にあるのだ。だから、その家族を受け入れ、助けることは当然のことであった。
 問題はどこに住ませるかということだった。家の後ろには日雇い人用の部屋があるが、そこは沖縄出身の玉城午吉と内地からきた戸田つくしが使っている。これは正輝が住むところを提供し食事をだし、前払いを条件に雇っている。長男のマサユキは5歳だが、野良の仕事をつづけてさせるのは無理だ。当時、野良仕事をする者を「鍬をひく者」とよんだ。たしかにマサユキはもう鍬をひいてはいた。簡単な見習いのような野良仕事はできるが、責任のある仕事をつづけさせるのは無理だ。アキミツはまだ4歳、ヨーチャンは2歳。だから、日雇い人を雇う必要があったのだ。
 夫婦はちょっとの間なら、ウサグァーと二人の子どもたちは雇人といっしょに住めると考えた。また、姪に家事の手伝いをしてもらえるとも思った。
 房子はもうすぐ子どもを産む。たとえ、短期間ではあっても産後の休みもあり、生まれた子の世話や授乳もあり、しばらくの間はふだんの家事や野良仕事ができなくなる。
 姪がマシャードス区にくるまでのあいだに、そのことを十分話しあった。
 ウサグァーは相変わらず美しかった。子どもたちは樽につきそわれてやってきた。樽にとって正輝は20年も前にグァタパラー耕地で知り合った旧友であり、そのあと、妹婿となった正輝とはタバチンガ以来の再会だった。樽は保久原家がやっていたアイスクリーム店に一回だけいったことを思い出していた。正輝と話し合いたいことが山ほどあった。
 樽はジャカランダのテーブルを囲んで仲間たちと夜を徹して語り合った。ジャカランダのテーブルは正輝の家のシンボルだといってもよい。そのテーブルは、将来の生き方を決断したり、家族の祝い事が行われる場所だった。二人は最後にあってからの空白を互いに埋めあった。
 今回の再会も同じ状態だった。一晩じゅう話し合い、二人が床についたのは空が白んできたときだった。正輝は当然その日は仕事を雇い人に任せ、畑には出なかった。
 しかし、樽の話しで夫婦が気にかかることがあった。ウサグァーの夫、盛二が下の二人の子どもが自分の子ではないと疑い、妻のもとに置いていったという件だった。長男セイエイだけはが自分の子であるという確実な証拠があったのか、正真正銘自分の息子だといって、連れていったというのだ。沖縄の人間にとって、自分の死後、霊を守りつづけてくれる男子がいるということは絶対条件だった。
 夫以外の男と関係をもつことは、女が少なかった日本移民のあいだでは珍しいことではなかった。けれどもウサグァーというごく身近な者に起ったことなのだ。多少、気にはなったが、樽も保久原夫婦もそれほど心配しなかった。キョーコとセーキの父親はだれであれ、ウサグァーの子であることはちがいない。だから、房子にとっても正輝にとってもごく身近な、つきつめれば、房子のいちばん上の姉カマーの孫なのだ。ウサグァー親子の世話をすることは当然の義務だと考えるのが自然であったろう。
 二人の雇い人の承諾を得て、ウサグァー親子は彼らの部屋に同居することとなった。家が広いとはいっても彼らを受け入れるスペースがなかったのだ。

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