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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(120)

 しかし、ドイツ、イタリア、日本からの移民を取り仕切るには警官の数がたりなかった。日本人のなかには自分の家にラジオを持っていて、ラジオ東京の番組を受信できる者がいた。それを通じて、アジアにおける軍事行動をキャッチすることができた。日本政府の公式発表をもとに情報を謄写版印刷して配布することで、移民たちは大いに勇気づけられていた。
 1942年2月にはじめの2隻、8月に6隻のドイツ潜水艦によるブラジルの潜水艦沈没が政府やブラジル人の強い反発をよんだ。その年の8月、枢軸国に対する20万人と推定される大衆の抗議デモが展開された。ベレンでは民衆が日本人の家を襲った。他の枢軸国移民より日本人は見分けやすかったのだ。1942年8月23日の新聞の第一面に「戦争」と書かれ大文字が踊った。前日にブラジル政府はドイツとイタリアに宣戦布告をしたのだ。
 1943年2月、コンデ・デ・サルゼーダス街に住む日本人は2度目の立ち退きの勧告を受けた。7月、ブラジルとアメリカの5隻の商船がサントス港を出港して間もなくドイツの潜水艦により沈没したことを受け、ブラジル政府は海岸線に住む枢軸国出身の移民の24時間以内の立ち退きを命じた。立ち退きを命じられた人の中に1500人の日本人とその子弟がいた。ブラス区の移民収容所に移された者たちはその後、サンパウロの奥地に住む親類や知人をたよって移転していった。
 1942年7月のブラジル勤務の外交官の本国帰国あるいは、日本軍配下にあるアジア各地への転勤により、ブラジルでの日本移民の人権と財産権擁護の管理はスペイン大使館が行うことになった。
「日本政府代表の外交官の引き上げで移民たちは、見捨てられたという頼りなさと深い孤独感に打ちのめされた。それまで隠れていた『移民は棄民だ』という感情が一気に噴出したのだ」

 いったい、どうしたらいいのか? 禁止されている日本語で意思を伝えることができない。かといって、きちんとしたポルトガル語での会話はできない。集まって公然と問題を検討することもできない。ブラジル人からの嫌がらせはますます酷くなる。それまでの日本人に対する軽蔑的な態度がだんだん怒りに満ちた態度に変わっている。枢軸国の潜水艦による商船の沈没、それにヨーロッパやアジアにおける戦闘に刺激され、ときには暴力沙汰にまで発展しそうな様相をみせてきた。
 移民の間に、非合法な情報が蔓延していた。それはいつもアジアにおける日本軍の輝かしい勝利を伝え、日本が指揮をする新大東亜帝国建設と拡大の展望、また、日本帝国の領土拡張計画が成功しつつあることを示すものだった。
 日本政府の外交官たち引き上げで、見捨てられたと感じていた移民のあいだに付和雷同の意識が強化されていった。禁止されているのに、彼等は会を組織し、自分たちの立場、とくに母国を守るための方法について論議しあった。
 ヴァルガスの独裁政権がつよく推進するナショナリズム、そして、ますます酷くなる挑発や暴力行為に反抗し、移民たちは前よりいっそう国粋主義にはしるようになっていき、ほとんどの者が本国の完全勝利を口にした。日本人は幼年のときより、日本、そして帝国は不滅だと教えられてきた。移民の大部分はアジアにおける軍事行動がそれを証明していると考えたのだ。

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