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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(124)

 しかし、日本が航空母艦からの長距離攻撃ができなくなったことで、アメリカは陸、海、空統の統一された作戦をはじめ、「島から島へ」というアメリカ軍の新たな戦略をとった。目的はその地を取り返すことではなく、東太平洋地帯に前進する船や飛行機の発着の基地にすることだった。
 日本はすでに大半の商船団を失っていた。そして、軍の艦隊もアメリカの新しい技術による強力な戦略により、太平洋地域から追い払われていった。日本と占領地の通信はますます難しくなった。アメリカの前進は食い止めることができない状態となっていた。
 だが、これらの情報はポルトガル語の発行物を読まない正輝や仲間、また、移民たちには届くことはなかった。彼らが受けとる戦争に関するニュースは日本政府が発表するものだけだった。情報というより、戦争している国の政府が国民の士気をあおる、むしろ狂言的愛国主義の宣伝のようなものだった。戦争時の正しく、詳しい情報はいずれの場合にも内密にされるものなのだ。
 アララクァーラの仲間が隠れた情報から得る情報に期待していたのは日本が有利な立場にあるというニュースだった。これらの情報は彼らに愛国心を強め、日本人としての誇りをもたせたからだ。その誇りにより、彼らはさらに酷くなるブラジル人の挑発、攻撃、対抗意識に頭を上げて立ち向かうことができたのだ。たとえ、立てつづく日本軍の敗北という正しい情報を得たとしても、日本帝国の不滅、不敗を信じる彼らはそれを偽の情報だと解釈しただろう。
 彼らが手にする戦況の成り行きは母国にたいする誇りをますます高めた。
 ブラジル政府の彼らへの迫害、たとえば、移民の財産の没収、外国語による出版の禁止、公衆での日本語の使用禁止、移動制限これらの弾圧が酷くなればなるほど、母国へ崇拝の念が高められていった。ブラジルに移住していらい日本の小学校で受けた教育観念にたよったのはこの次期をおいてほかにない。半世紀以上前の明治時代に発布された教育勅語がこれほど重んじられたことはない。国粋主義精神を奮い立たせ、大日本帝国と国の軍事作戦を妥協なしに受け入れる。今こそ、教育勅語の教えを実践するときがきたのだ。
 日本の外務関係者の引きあげ、ブラジル人たちによる迫害が同胞社会の間に相互援助の気運を高め、あちこちに国粋主義色の濃い組織ができ始めた。精神面から、そして、同時に同胞同士の援助の気分が高まるなか、自分たちのモラルを高めるようと、偽の情報を受け入れるようになっていった。
 太平洋での戦争の状勢はアメリカ側に有利になりはじめていた。1943年、連盟軍の司令官たちは対日本戦を最優先することにした。8月、攻撃にむけて戦略法を決定し、太平洋での指揮を一括し、太平洋艦隊司令長としてチェスター・ニミッツを任命した。
 11月、連合軍は太平洋中部にあるギルバート諸島を占領した。この東部攻撃隊は2ヵ月後の1944年1月にはギルバート諸島西北のマーシャル諸島を強力な武器を用い素早い行動で攻撃を開始した。
 10日間の戦いでクワジャリン基地を抑え、マーシャル諸島を占領。そこからマリアナ諸島の攻撃を開始した。6月にはサイパン島、7月にはグアム島を占領した。日本の航空母艦はマリアナ諸島での対戦においてフィリピン海で全滅した。

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