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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(156)

 今はどうか? 何もしなくていい時間がいくらでもある。今までこんな機会は一度だってなかった。だが、今は違う。「牢につながれる」という表現どおり、牢屋に入れられ、いろいろな規則や要求に縛られている。外の世界では「何もしないこと」は選択自由だったが、ここでは義務なのだ。「強制的休息は精神を衰えさせる」と正輝はおもいにふけった。単調な牢屋の生活は彼や他のだれをも苛立たせた。そのため、囚人は頭を空にするために時間のかかることを考えた。
 夜、消灯時間のまえの8時半ごろ、だれかが「見よ東海の空明けて、旭日高く輝けば…」と、「愛国行進曲」を歌いだした。
 彼らにとって、楽しい時だった。この歌がみんなを眠りに誘ってくれる。そして、翌日の牢獄生活を癒してくれる。
 正輝はこの歌を歌うとき、真の日本国国民という気分になった。留置所生活で最も充実した時間だった。半面、「一体自分はここで何をしているのか?」という自問が帰って来た。
「真の愛国者ゆえに検挙された。ただ、そのために義務をはたしているだけだ」と思った。だが、ブラジル政府にたてついたわけではない。ブラジルは日本に宣戦布告を行った。では自分は戦争の捕虜なのか?
 しかし、調査のおり、「戦争」という言葉が一度も出てこなかった。だから捕虜ではない。検挙の原因は牢屋の中で耳にした臣道聯盟の暗殺なのだろうか?
 聯盟が配布した情報には全て目をとおしたが、暗殺に関する記事など何もなかった。
 捕まって以来、家族のとの連絡は全くない。房子はどうしているだろう?
 妊娠は順調なのだろうか? 子どもたちは変わりないだろうか? 自分がいなくなって仕事はどうなっているのだろうか? 取り調べのことが胸をしめつける。単調な牢屋の生活がつづき絶望的になる。別館Ⅰにある自分の牢屋3番から鉄格子の前に立ちつくして何十メートルほど先にあるチラデンテス大通りの歩道をどれほど見つづけたことか。自由はすぐ側にあるというのに、手にすることができないのだ。
「いつになったら話しを聞いてくれるのだろう?」
 ほんのわずうかな機会だが、囚人がお天道様を拝める時間があった。週に一回、朝の2時間だけ何棟かに分かれている留置所の別館の間で、日光浴することができた。より多くの日本人がグループになって歩くことができた。そんなある日光浴の日、セッテ大通りにアイスクリーム屋を設け、マッシャードス区で借地農をするまで、ずっと世話になった旧友の津波元一に出会った。二人は留守宅の状況、警察の調査の進み方、牢屋での様子について話し合った。お互いに激励しあったものの、両者とも問題について何の手がかりを掴むことができなかった。
 これらは留置所に閉じこめられた日本人に共通する苦悩のようだ。窒息状態の毎日に絶望、自尊心喪失、不名誉、恥、取り返しのつかない損失の思いが重なっためなのだろうか。そんななか、長野すけおは待つことをやめ、自分自身で解決する方法をとった。18日、牢屋で死体で発見された。自分で死を選んだのだ。ニュースはたちまち留置所に広がり、みんなを驚かせた。正輝は長野の行為を理解できるものの、突飛すぎると思った。

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