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たった18年でブラジル最大の証券ブローカーを作った天才実業家

「XPの旅路」は、どこに向かっているのか?

 「僕らの旅路は始まったばかりだ」――ブラジル最大の証券ブローカー「XP Investimentos」(以下XP)の共同創業者、ギリェルメ・ベンチモル氏(Guilherme Benchimol)は先週11日にニューヨークで、世界最大の新興企業(ベンチャー)向け株式市場Nasdaqでの取引開始を告げる鐘の音を聞きながら、感激した面持ちでそう語ったと、ヴァロールサイト11日付記事(https://valor.globo.com/financas/noticia/2019/12/11/nossa-jornada-so-esta-comecando-diz-guilherme-benchimol-apos-estreia-da-xp-na-nasdaq.ghtml)は報じた。
 まだ43歳。彼はブラジル金融界における、若き立志伝中の人物だ。2001年にリオの証券ブローカーをクビになり、わずか3千レアルからXP社を立ち上げ、現在ではブラジル最大の証券ブローカーにたたき上げたからだ。
 彼にクビを言い渡したリオの会社はとっくに潰れたが、ベンチモル氏の会社は先週、米ナスダッキ市場に上場を果たすまでになった。まさに栄枯盛衰の縮図だ。
 同社サイトによれば2019年12月現在、創業18年で、クライアント数は120万人、運用する投資総額は3500億レアルだというからすごい。

貧乏と裕福を行き来する少年時代

『Na raca』(マリア・ルイザ・フイルゲイラス著、Intrinseca社、2019年)の表紙

 ベンチモル氏の生涯を描いた伝記『Na raca』(マリア・ルイザ・フイルゲイラス著、Intrinseca社、2019年)によれば、1976年リオ市中心部で、画家である母リジア、心臓専門医の父クラウジオという裕福な階級の家に、二人兄弟の一人として生れた。だが、ベンチモル氏が7歳の時に離婚し、母に育てられた。
 父は苗字の通り、元々はユダヤ系だが、ベンチモル氏が生まれた頃には、すでにカトリックに宗旨替えしていたという。だが父は「厳しい教育」というユダヤ系の伝統は守り続けた。
 平日は母のもとで切り詰めた貧乏生活、週末は父のもとで富裕層のそれという二重生活が始まった。父はレブロンにある200平米のアパートで豊かな生活をしていたが、母はジャルジン・ボタニコ区の2寝室の小さなアパートだったという。
 結婚した際「separacao total de bens」を選んでいたので、離婚しても、父の収入によって得た財産はすべて彼のもの。同書は「クラウジオ(父)は離婚した妻と子供にモレーザ(楽すること)を与えなかった」(32p)と記す。
 父は離婚後、子供を私学に通わせる学費と、自分の診察1回分の生活費を母に渡すだけ。生活費に困った母は、夜はエアコンを消して節約したが間に合わず、結局は実家に引越しせざるを得なかった。ベンチモル氏は切り詰め生活をする平日に対し、週末は金持ちが集まるジョッキー倶楽部でテニスをするという、階級格差を行き来する生活の中で育った。
 その中で、「ボクは切り詰める生活はたくさんだ」と幼心に決心したという。リオ連邦大学経済学部を卒業した後、Investshopという株ブローカー企業で役員候補生として働いていた2001年、24歳の時に担当部署が廃止されることになり、クビにされた。

24歳で失業、XP創業

 その時の経験が、フォーリャ紙2013年10月14日付「失業したあと、エコノミストはブラジル最大のブローカーを創業した」に寄稿されている(https://www1.folha.uol.com.br/mercado/2013/10/1356164-fundador-da-xp-investimentos-transformou-escola-sobre-a-bolsa-na-maior-corretora-de-valores-do-pais.shtml)。
 その後、南大河州ポルト・アレグレ市で少し毛色の変わったブローカー業を始めていたマルセロ・マイソナベ(Marcelo Maisonnave)と出会って意気投合し、自営業者として共同事務所を始めることになった。「最初の私の決断は、もう上司はいらないということだった」と書かれている。
 「XPという社名は30分で考えた。ボクはずっとXPTOという会社を作りたかった。だからXPに」と寄稿にある。何がXPTOかと思ったら、米企業マルテル社が80年代に作った子供用のロボットの名前だという。
 当時、証券や国債、株式に関心を持つ一般人は少なかったので「最初は大変だった」とある。「株式市場に仕組みについての講演を、アパートのプレイグラウンド(子供の遊技場)を使って無料で開いた。オレンジジュースのコーヒーブレイクつきだよ」とある。

投資の仕方を教えるところから始める

XP Investimentosのサイト(https://www.xpi.com.br/)

 そのときのことが、2013年10月29日付エザメ誌サイト(https://exame.abril.com.br/pme/guilherme-benchimo-o-professor-de-financas/)に詳しく書いてあった。
 ベンチモル氏はポルト・アレグレに引越しするために5千レアルの借金を友達に頼んだ。「仕事が決まったら払うから」と。
 2002年、ベンチモル氏ら共同発起人4人がXPに出資できるお金は2万レアルしかなかった。それで事務所をかり、そのビルのサロンで投資講座を始めた。
 「最初の講座に参加したのはマルセロの友人20人だった。僕は株式市場がどんな風な仕組みになっているかを深夜までかかって説明した。うち18人がクライアントになった。この経験から気付いたんだ。顧客を増やすには、まず、どうやって投資するかを教えなければいけない」とある。
 翌週には新聞に投資セミナー開催の広告を載せた。受講料は300レアルとしたが、数日で30人が集まった。同じサロンで、即興のようなセミナーだったが、ほとんどの参加者はクライアントになった。「僕にとっては9千レアルの受講料は大きかった。引っ越しの時に借りたお金をようやく返せたから」。
 「我々の投資クラブ形式の基金は、2005年にたった3千レアルから始まった。僕、マルセロ、父が1千レアルずつ。それが今では30億レアルだ」と2013年10月に書いている。
 そこから毎週末にセミナーを開催し、そのたびにクライアントが増えていった。最初は南大河州の地方部に、自営業の形で支部をどんどん開いて地方紙に広告を載せ、ポルト・アレグレのセミナーの形をどんどんコピーしていった。XP社は「投資案件のショッピングセンター」というコンセプトで、投資のやり方を教え続けることでどんどん拡大した。
 前掲のフォーリャ紙記事によれば、一つの転機は米国最大の証券会社の一つ「チャールズ・シュワブ(Charles Schwab)」の展示会を見に行って、そのやり方から発想を得たことだという。「見に行ったら、まるで投資のショッピングセンターのように機能していた。それまで普通、投資を進める銀行は自分たちが売りたい商品だけに焦点を当てていたが、そこではお客さんが欲しい投資商品を並べていた」。それをブラジルに持ち込んで大成功した。
 そしてサンタカタリーナ州、パラナ州、サンパウロ州という具合に増やし、07年までに30支部が設立された。リオでは既存のブローカーの株式を95%買収した。
 こうして2013年には300事務所が開設されていた。この頃にはセミナーの受講料収入は、収益のわずか1%にすぎなくなっていた。
 「今では僕たちは毎月5億レアルずつ投資資金を集めている」とフォーリャ紙記事にはある。まだ36歳の時だった。最初はたった3千レアルの投資資金を、この時点で30億レアルに増やしていた。

「世界に影響力を持つ50人」に

ブルームバーグ誌が2018年12月、ベンチモル氏を「世界に影響力を持つ50人」の一人に選んだ

 ちょうど1年前、昨年12月に米国のブルームバーク(Bloomberg)誌が「世界に影響力を持つ50人」に、ベンチモル氏が選ばれた。インフォマネー誌サイト2018年12月6日付(https://www.infomoney.com.br/mercados/guilherme-benchimol-e-eleito-uma-das-50-pessoas-mais-influentes-do-mundo-pela-bloomberg/)によれば、南米で唯一。中米まで入れれば、メキシコのアンドレ・マヌエル・ロベス・オブラドル大統領が入る。
 理由は「中産階級に満足できる投資商品とそれを可能にするプラットフォームを提供し、手数料を取らない手法をとった」ことだ。

「あと10年でイタウ銀行より大きくなりたい」

 エスタード紙12月12日付(https://economia.estadao.com.br/noticias/geral,fundador-da-xp-foi-da-demissao-a-uma-empresa-de-r-60-bilhoes,70003121929)によれば、XPは2017年年5月に株式の49・9%を63億レアルでイタウ銀行に売却した。この時、ベンチモル氏は「市場の変動に振り回されるから、株式上場は避けたい」と言っていた。
 ところが、そのわずか2年半後、この12月にナスダックに上場し、市場評価額は約190億ドル(約800億レアル)となった。今度、ベンチモル氏は「たくさんの顧客に満足を与えるには、戦いに挑まなければならなかった」と説明した。
 同エスタード記事には「XPの株式の半分近くを買うにあたって、イタウ銀行が自覚していたことは、無数の小さな投資家を寄せ集めるというXPのビジネス手法は、巨大組織の銀行にはできないということだ」と書かれている。イタウ銀行は言うまでもなく、ラテンアメリカ最大の民間銀行だ。
 インフォマネー誌によれば、2018年現在のXPの時価総額は300億レアルだった。同記事の中でベンチモル氏は「あと10、20年後にはイタウ銀行自体よりも大きくなりたい」との意欲を語っている。
 ワーカホリック(仕事中毒)で知られ、週末までプール脇にクライアントや共同経営者を呼んで仕事の議論を重ねているという。「内部事情を良く知るものによれば、彼は共同経営者に対してですら、議論で対立することを恐れない。だから多くの人が袂を分かち、独立していった」とある。
 現在、まだ43歳。18年前にポルト・アレグレで3千レアルで始めた投資クラブは、世界のナスダッキで800億レアルを調達するまでになった。
 次の一手は何なのか。ブラジルにも末恐ろしい実業家がいたものだ。(深)

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