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特別寄稿=『移民と日本人』を読んで=サンパウロ市在住  中田みちよ

ニッケイ新聞社編『移民と日本人/ブラジル移民110年の歴史から』

 『移民と日本人』、久しぶりに一気に読みました。

 それほど目新しいハナシなのかというと、私の乱読の余録もあって、それほどでもありません。深沢さんは記者ですから、すでに紙上で発表されている記事も多く、それ自体は既知項目。ただし、もう少し知りたかった次の場面が掘り下げられていて興味深いものでした。

 たとえば「アルゼンチンで売られた日本人」。在籍した語学学校の教材の中にあり、いつも、この日本人奴隷はどこから来て、どこへ行ったのか気にかかっていました。

 古都コルドバの歴史古文書館の書類で発見された書類では、奴隷商人から神父が買いとった2年後の1597年、この日本人は「自分は奴隷ではない」という裁判を起こし、たぶん神父の後押しもあってのことでしょうが、自由の身になったと記述されていて、確かな裏付けがあったのかと、安堵しました。

 というのも、先年、メキシコのクエルナバカで見学した教会の26聖人の壁画も、日本人がみなクーリー・ハットをかぶっていて…。まあ、安土桃山時代の日本など、ハポンもシナも同一視されていただろうことは想像に難く、苦笑いしました。

 この壁画に関しては後日、メキシコに永く在住していたバイオリニストの黒沼ユリ子による、次のようなコメントをどこかで読みました。「この絵画に最初は私も仰天したが、この国に永く住み、国民性を知るようになると、やはりマユツバものかもしれないと思うようになりました」と。

 シンパチコなメキシコ人はリップサービス(ラテン系は)も盛んですから、さもありなん…と思っています。

 というのも、先年、サンパウロ州内陸部の水門で有名なバーラ・ボニタに団体で出かけたとき、遊覧船のキャプテンがチエテ川の右岸にあるこぎれいな邸を「あれはドンペドロの愛人の別荘」と声高く指差したのです。えっ? まさか、ドンペドロはパリで客死したでしょう? すると「…という伝説があります」…。ホラをふいているのは自覚している。

 こうして観光客を楽しませるわけです。やはり、ラテン系はリップサービスが上手なのです。それでアルゼンチンの話も同類かなと思っていたのですが…安堵しました。

 

隠れキリシタンと「黒ん坊」

 

 遠藤周作に「黒ん坊」という小説がありますが、信長が黒人を見たという事実が基底になっています。戦国時代を流転する“黒ん坊”の姿から、ポ語もわからずにただ困惑・流浪する古老移民が思い起こされ、涙ぐんだことがあります。こんな読み方をするのは移民の端くれの私ばかりかもしれませんが。異国で右往左往する異邦人…年のせいか、いつも移民の姿が重なり、涙腺がゆるみます。

 昨年、佐渡が島に行きましたが、意外なことにあそこにも隠れキリシタンの足跡がありました。金銀鉱山にも結構キリシタンたちがいて、120人ほど打ち首にされた「キリシタン塚」も残されているのです。

 まあ、鉱山というのは無宿人が集まるところですから…。加賀の国金沢には、キリシタン大名高山右近が豊臣秀吉に棄教をせまられて、前田利家のところにマニラに流されるまで滞留していますから、周辺にキリシタンが増えても、不思議はありません。

 まあ、これは説得力があります。地元佐渡島出身の玄間太郎の『黄金と十字架 佐渡に渡ったキリシタン』は、この辺りの事情を小説にしたてながら詳細に記述しています。ついでに言うと、津軽にも、この辺りから流れていって鰺ヶ沢に上陸したキリシタンがかなりいたといいます。これは初耳でした。

 

今村訪問とイエズス会

 

 もともと、隠れキリシタンには関心があり、日本へ行った時も、わざわざ今村(福岡県大刀洗町)まで足を運びました。平田進の家系を軸に展開する『奇跡の村』(佐藤早苗)を片手に3、4年前に今村をおとずれたのです。

 今村の始まりは、むかしジョアン又右衛門という落人(島原からの落人か)、あるいは大友宗麟の縁につながるものか…地元のタキシーがまるでガイドのように、滑らかに説明してくれました。

 むかし今村は貧しく、ブラジルへの移住が始まり、今村があったのは荒野だったのに、現在はあたり一面に家が立ち並んでいます。

 ブラジルの常識では教会の周囲には空間があるのですが、ここでは軒下まで人家がおしよせていて狭苦しい。『奇跡の村』の平田松雄神父が収集した「今村切支丹資料館」をみせてもらおうとすると、サンパウロの「保和会」がもっているはずだという。現地ではそれを知っている人間はいないばかりでなく、みんな関心もない。

 この今村カトリック教会は二つの塔を持つロマネスク建築という様式だそうですが、これは南大河州のサン・ミゲール・アルカンジョにあるイエズス会の教化村の教会とスタイルがよく似ていて、イエズス会は教会建立に統一したスタイルをもっていたのかもしれません。

 世界を股にかけたイエズス会の働きに大いに感心しました。こぎれいな宿舎は清潔で、夜は『音と光のショー』が、むかし教化村があったという広場で催されました。名優のフェルナンダ・モンテネグロが声の出演をしている録音劇があり、稲妻がひかり、雷鳴がとどろき、身ぶるいするほどの圧巻でした。

 イエズス会の創立者たちは、腐敗したカトリックを再生するようにとの法王のお墨付きをもらっていましたから、高圧的でもありました。ブラジルの為政者も、インジオを教化するのはイエズス会を大いに利用し、大儲けしていた間はよかったのですが、黒人貿易などをイエズス会が容認するはずもなく、まもなく仲たがいします。

 これがブラジル、アルゼンチン、パラグアイの州境近く30ほど存在したと教化村の滅亡につながります。ブラジルの文学作品には、ここから逃亡したインジオや教化村が頻繁に登場しています。

 

身近にいる保和会関係者

 

 実は日本語教師の中にも今村出身者がいて、「保和会」の話は聞き知っていたのですが、すべてがあいまい。ところが、図らずも本書に「隠れキリシタンと保和会」という章があり、もやもやがはっきりしました。

 インタービューを受けた保和会のメンバー本岡・平田・オウガさんの配偶者は、連れ合い中田の同郷で中学の同窓生本岡公さんなのです。中田自身はそんなことには興味がない人間で、キリシタン話も出たことがないのでしょうが、独身時代に招ばれていった本岡さんの結婚式で、平田進が「平田以外のよそ者と結婚をするのは、これが最初で最後だろう」とあいさつしていた、と聞いています。

 前述の日本語教師も、草分け信者の青木新作と縁続きに嫁いでブラジルに来たそうですが、保和会の中にもいろいろ複雑なカキネがあったようです。

 私と妹は、70歳ちかくなってサンゴンサーロ教会で洗礼を受けたのですが、そのクリスチャン教育にたずさわってくれたのが、一族につながる平田和子さんでした。ひところコチア組合でいっしょに働いたこともあり、顔見知りでした。

 「かくれ? 私たちは生まれてすぐ堂々と教会に行き、ミサにさずかりました。ブラジルはカトリックの国で、隠れる必要もありません。かくれてキリストを信じるなんて、人格形成に悪いでしょ?」

 明るくあっけらんかと言いました。「隠れ」が理解できないのです。隠れる必要を認めていない。そうあって当然。

 私は晴れやかな気持ちになりました。ブラジルでは、おずおず教会に入ってきた日本人信者を、どこでも気持ち良く迎えいれています。もっとも、日本では今、現在でも顕在する教会をきらって、別れていく隠れのひとがいるそうですが。

 

子孫には継承させるべきでない部落民問題

 

 また、別の面で隠れている人たちが、『日系文学の中の部落出身者』の稿で扱われています。青森では部落民などという言葉も聞いたことがありませんでしたが、出身県が京都に近い中田は、ずいぶん、それにこだわりました。

 多分そんな話が身近にあったのでしょうが、人間同士が差別し合うその言葉を耳にするたびに軽蔑しました。そういえば父たちが住んでいた村の婦人会で「xxさんはⅹxだ」という話をきいたりしていましたが、ブラジルに永くなると、別の血の問題、混血の問題がでてきて、古い血の話に拘っていられなくなります。

 私には男3人、女3人、計6人の孫がいますが、全員混血児です。なかんずく、癌で早世した長女の男孫とは同居してて、ポルトガル語の会話が上達したという余録もあります。この子たちに部落民の話は理解できないでしょうし、次代に継承させるべき事柄でもありません。

 いまでこそ、混血だ、でない、などと拘っていますが、みなブラジル人として大きなサイクルの中に飲みこまれていくのは必定。この国のひとつのパーツとしてブラジルの建国にたずさわるのです。残るのはブラジルという国家なのです。他はどうでもいいことではありませんか。

 では深沢さん、今後の健筆を祈ります。面白い新聞を期待しています。

《※『移民と日本人』(150レアル)は本紙編集部、太陽堂(11・3208・6588)、竹内書店(11・3104・3399)、高野書店(11・3209・3313)などで購入できる》

 

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