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アジア系コミュニティの今=サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子=フィリピン編<3>

アンさん

アンさん

 アンさんの第一言語はフィリピン語だが、英語も母国語のようにコミュニケーションできる。
 「ブラジルに来た時はポルトガル語ができず、仕事を見つけるのに苦労しました。なぜブラジル政府は、アジアの複数の国のように英語をコミュニケーションの手段とすることを法律で義務付けなかったのでしょうね?」
 翻訳機を使用してポルトガル語にも慣れてきたアンさんは、学ぶ意欲のある人には、誰にでも無料で英語を教える。言葉にハンディーはあっても、ブラジル人は外国人、特にアジア人に対しては温かく迎えてくれることには安心感を持てるという。
 「ブラジルで良いと思ったのは、政府が私たちのような移民にも様々な扶助の機会を与えてくれることです。特に今回のようなパンデミックの時には実感しました。他方、問題だと感じるのは、政府の薬物問題への取り組みです。麻薬使用が合法かの様な状態です。路上で寝ている人が多いのも気になります。どうして移民は援助を受けられて、地元の人々は路上で生活しているのでしょうか」
 フィリピンとブラジルを比べた時、特にマニラの生活はもっと利便性が高かったと懐かしむ。書類のコピー、24時間営業のコンビニやファーストフード店、土日営業の商店、国外送金や両替の窓口など、必要なものは町の至る所でそろっていた。
 「フィリピンでの生活はとても満足で、家族と一緒に過ごせて幸せでした。私は月曜から金曜までマニラで働き、週末は家族の家に帰り、父親の農場で牛に水をあげたり、皆で食事やカラオケをしたりして楽しい時間を過ごしていました。私たちは金持ちではないかもしれませんが、それほど貧しくもありません」
 現在27歳になる娘と22歳の息子はアンさんの両親と暮らしている。9月には息子に子供が誕生する。時機が来たらフィリピン人の友人と一緒にスペインを経てスウェーデンに立ち寄り、フィリピンに帰国したいと思っている。

憧れだった“ジャパゆき”

フィリピンの父親の農場でのアンさん

フィリピンの父親の農場でのアンさん

 「礼儀正しさ、規律がある、衛生的で清潔、健康的な食事…。フィリピン本国でもブラジルに暮らすフィリピン人の間でも、日本のライフスタイルにはポジティブなイメージを持つ人が多いです」
 “ジャパゆきさん”の言葉がはやっていた頃、アンさんも日本に行く事に憧れたが、日本側がフィリピン人に提供していた仕事は歌手やダンサーなど芸能分野だった。
 「子どもの頃から日本に行って桜を見るのが夢でした。でも、ミス・ユニバースのような容貌もありませんし、両親は芸能人に良いイメージがなく、日本へ行く機会はありませんでした。」
 教育を受けていなくてもチャンスが開かれたエンターテイメントの世界は、魅力的な若い女性だけに開かれた道だった。アンさんと同郷でバービー人形のような美しい女性がおり、彼女は読み書きもできなかったが書類にサインだけして、日本でダンサーとして雇われた。その後、彼女は裕福な日本人と結婚し、現在はニューヨークに住み、大学も卒業しているという。(続く)

 

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