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中島宏著『クリスト・レイ』第72話

 プロミッソンの町に彼らが集まって来た理由としては、ブラジルへの日本移民たちの歴史が、その背景としてある。
 初期の日本人移民たちが入植した主な地方の一つに、このプロミッソン一帯も含まれるのだが、サンパウロ州でも北西地方にあたるこの一帯には、ノロエステ(北西)線と称される鉄道が、この地方のほぼ中央辺りを原生林を切り裂くようにしてマットグロッソ州との州境まで延びていっている。このノロエステ線の沿線に固まるような形で、日本からの移民の多くが植民地の入植者として、この国での生活をスタートさせた。
 当時のノロエステ鉄道の沿線はすべて未開の原生林によって覆われ、入植はしたものの、彼ら移民たちの畑作りはまず、その膨大な原生林を切り倒す作業から始めなければならなかった。確かにそれは、既成のブラジル人の農場で働く契約労働者ではなく、独立した自分たちの土地で働くという形を持つものではあったが、すべてがゼロから出発するということは、ある意味で安定性も保証も何もない、極めて厳しい生き方であった。
 少なくとも安定性ということだけから言えば、奴隷的な生活と言われようと、契約労働者の方がまだましであったかもしれない。自由はなかったが、最低限での生活の保証はあった。その点、独立の形は自らの手ですべてを行わねばならず、誰も安定した生活を保障してくれるものはいなかった。ましてそれが、初めて見るさっぱり訳も分からない奇怪な世界ということであってみれば、初期の日本人移民の人々にとって、どこからどう手をつけていいのかも分からないという手探りの状態が、植民地の現場であり現実でもあった。
 しかも、その現場で、指導あるいは援助してくれる経験者がいるわけでもなく、すべてをまず自分たちがやってみるというところから始めなければならなかった。
 植民地を手配してくれた日本の会社はあったものの、それはただ、日本からブラジルへの移民を斡旋するという目的だけの会社であって、入植後の人々を、現地で責任を持って面倒を見るというような側面はほとんどなかったといっていい。

 ノロエステ鉄道は、地理的にサンパウロ州のほぼ中央に位置するバウルーという町を基点とし、ここから文字通り北西に向かってマットグロッソとの州境に流れるパラナ河まで延びている。サンパウロ州の州都であるサンパウロ市からバウルーまでは、当時、パウリスタ線という鉄道が通じていた。だから、サンパウロ市からノロエステ線地方の町々に行くには、一旦パウリスタ線の汽車に乗ってバウルーに行き、ここからノロエステ線に乗り換えるという行程を取る。バウルーから先に点在する数々の駅を拠点として、ブラジルにおける初期の日本人移民の時代が始まっていったのだが、そこには希望に満ちてやって来た日本からの移民たちにとっては、想像を絶するほどの苦痛と絶望とが待ち受けていた。
 特に、バウルーの町から約、八十キロほどの地点に、旧プレジデンテ ペーナ、現在のカフェランジアの駅近くに開拓された平野植民地は、初期ブラジル日本移民の植民地史の中でも、最も悲惨なケースとして知られている。

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