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中島宏著『クリスト・レイ』第94話

 でも、残念ながら、というか、結果としては、それに勝てなかったということになってしまったわね。だから、さっきあなたも言ったように、私もそこに罪悪感のようなものを感じてるの。だけど、こればかりは、すべて理性的に考えて行動するということが難しいということなのね。頭の中で考えていることと感情的な部分とが、なかなか一致しないという証拠みたいなものだわ。
 とはいっても、やっぱり、こういう形でお互いの考えをはっきり言えたということは、私はよかったと思ってる。中途半端なままで、お互いに不完全燃焼でいるよりは、結果はどうであれ、きちんと自分の考えをはっきりさせたことは、それはそれでよかったのじゃないかしら。もちろん、それによってこれからすべてがうまくいくという保証は何もないけど、少なくとも二人がお互いをどう思っているかということが分かっただけでも、大きな収穫というべきでしょうね」
「そうですね、その点は僕もまったく同じ意見です。あなたも僕も正直な気持ちを話せたのだから、それは、特に僕にとっては素晴らしい成果だと思っています。
 それはそれとして、ただ、僕にはちょっと疑問というか不満が残ります」
「あら、それはどういうことかしら」
「要するにですね、お互いがお互いの気持ちを分かり合えたということに対して、僕たちは喜んでいるわけでしょう。それはそれでいいにしても、それだけですか、というのが、今の僕の正直な気持ちです。つまり、お互いが同じように恋愛感情を持っているということは確認できたけど、そこから先へは進んでいかないのか、ということです。はっきり言って、こういう話をした以上、次の段階の、そういう感情を前提とした交際が始まっていくのがごく自然の形であり、常識的な考えではないかということです。
 その点を、僕ははっきりしたいのです。まあ、あなたから見れば、ちょっとせっかちな発想かもしれないけど、僕はずっと前からそういう考えを持っていました」
「それは、確かに難しい問題ね。お互いに好意を持って、それが深まって好きになっていくことは、ごく自然な流れだし、そこには何の問題もないはずよね。でも、ちょっと冷静になって考えてみると、私たちの場合はそう簡単にはいかないということになるのじゃないかしら。ほら、さっきも言ったように、ガイジンと交際することに対して、日本人は大きな抵抗感を持っていますからね。あなたと私の場合は、目前にそういう複雑なものが数多く横たわっているというのが現実なの」
「その点は僕も理解できます。でも、さっきアヤも言ったように、タブーを打ち破っていくのが、あなたの持つ生きる上での姿勢だとすれば、二人の交際はひとつの挑戦というようなことになりませんか。もし、あなたの僕に対する気持ちが本物であるとすれば、そのようなタブーを乗り越えることは、そんなに難しいことではないと思えますが。あ、いや、これは僕の一方的で勝手な考え方で申し訳ないのですが、僕としてはその辺のところを、アヤに確認したいのです」
「私はね、マルコス、性格的にどちらかというと冷静さを保つというか、物事を冷めた目で見るというところがあると自分では思っているの。そういう点は、私の叔父もそれを感じているらしく、お前はどうかすると男のような強さを見せるところがある、こういうブラジルの開拓地には向くタイプかもしれないなと言うの。
 だから、第三者的な立場から物を考えるときは比較的まともな判断が出来て、それがまず大抵は、間違うということはないと思ってるけど、でも、それが自分に直接関係した問題になると、どうもね、何だかその辺があやしい感じになってしまうわね。

 

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