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中島宏著『クリスト・レイ』第95話

 はっきり言ってねマルコス、こういうふうに人を好きになるということは、私にとっては初めての経験なの。そりゃあ、初恋のようなものや、片思い的な淡い恋心を抱いたことは今までにもあったけど、それはまあ、通り一遍といった感じの、誰でも一度は味わうというようなものね。でも、今回の場合は様子が違ったわ。
 何というのでしょう、人を好きになるという感情が、思いがけないほど強く迫ってくるとでもいったらいいのかしら。時には自分でも驚くほど、心が揺さぶられるというような状況になるわ。そして、当然だけど、そこにはもう冷静な判断なんてなくなってしまっている。
 あら、私はマルコスに向かって何を言っているのかしら。こんなことまであからさまに話すことはないわね。でも、そこがまた、不思議な感じもするのだけど、あなたと話していると自然にそんなことまで勝手に飛び出してくるという感じね。マルコスには、そんなところがあるわ。つまりね、安心して何でも喋ってしまうという雰囲気があなたにはあるの。それは素晴らしいことでもあるし、同時に危険でもあるわね」
「危険? 危険人物となると、ちょっと穏やかではないですね」
「ハハハ、、、危険人物とは言わないけど、あなたには、人の心の奥底にしまっているものまで吐き出させてしまうような特技があるの。もちろん、それを意識的にやっているということじゃなくて、自然にそういう雰囲気が漂っているとでもいうのかしら。とにかく、あなたと話していると段々、こちらが無防備の状態になっていくみたい。それで、後で気付いたら余分なことまで話してしまったということになっているの。これって、ある意味で詐欺行為かもしれないわね」
「おやおや、危険人物になったり詐欺師になったり、これは散々ですね」
「そうよ、あなたはそれだけ危ない要素をたくさん持っているということですからね、これからも気を付けたほうがいいわね。
 ところで、さっきの肝心の問題だけど、私とあなたが、これからも交際を続けていくということについては、その交際があくまで友情の範囲を出ないものなのか、もっと進んで男女の関係というものになっていくのかということは、正直なところ、今の私には分からないとしか言えないわね。
 どうもね、自分のこととなると判断が鈍るというか、即断できないことになってしまうという感じね。じゃあ、何を迷っているのかと聞かれると、ちょっと説明に困るのだけど、そうね、マルコス、もう少し私に時間をいただけないかしら。
 一度、このことについて真剣に考えてみたいと思うの。そうでないと、何かいい加減な、そのときの気持ちだけで簡単に決めてしまうのも、あなたにとっても私にとっても無責任ですからね。それだけ、この問題は私にとって大きく、重いものがあるから、そこをきちんと考えてみたいの。ちょっと自分勝手なようだけど、その辺のところを分かってもらえるかしら。それと、さっきも言ったように、あなたに対する私の気持ちはまったく変わることはないということを、ここで付け加えておくわ」
「もちろん、よく分かります。そういう返事はいかにもアヤらしいという感じですね。何事にも真剣に考え、取り組むという姿勢は、こういう交際という問題にもきちんと表れているということですね。分かりました。アヤがそういうふうに真剣に考えてくれるのだったら、僕もやはり、同じように真剣に考えてみなければなりませんね。
あ、いや、これまでの僕の気持ちがいい加減だったということではなくて、現実の問題も含めて、もっといろいろな角度から考えてみるべきだということです。

 

 

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