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■訃報■五輪5大会で柔道国際審判 山崎重人

国際審判時代の山崎重人さん(本人のフェイスブックより)

国際審判時代の山崎重人さん(本人のフェイスブックより)

 柔道の国際審判として五輪などで活躍した山崎重人さん(二世)が19日、サンパウロ市内の病院で亡くなった。行年88歳。19日午後現在で、初七日、偲ぶ会などの顕彰行事は予定されていない。
 山崎さんは1932年7月2日にサンパウロ州北西部リンス市で生まれた。父セイイチと共に重人、シゲル兄弟はトリメンベで最初に柔道を始めた。戦後、1948年に出聖し、小川龍造道場で修業。山崎家は1957年に独立して最初の道場をサンパウロ市アナローザ区に構え、1960年頃には12を数えるようになっていた。
 山崎さんは柔道の国際審判の資格も取得し、モントリオール五輪(1976年)を皮切りに、モスクワ五輪(80年)、ロサンゼルス五輪(84年)、ソウル五輪(88年)でレフェリーを務めた。
 その他、世界柔道大会でも8回、パンアメリカン大会で2回、南米大会で3回、審判を務めた。
 重人さんの息子シゲトJRさんは全伯柔道大会6回優勝、1991年パンアメリカン大会で金メダルを受賞の猛者で、ブラジルに道場を構える。
 重人さんの弟シゲルさんの息子マリオさんはアメリカに移住。1995年にDC地域で初のブラジリアン/グレイシー柔術スクールを開校。世界的に有名な総合格闘技UFCのレフェリーになった。もうひとりの息子フェルナンドさんと2003年にビジネスパートナーとなり、山崎家は現在アメリカ本土、ブラジル、ドミニカ共和国、ヨーロッパにもいくつかの学校と提携校を持っている。
 山崎家はブラジルを拠点に、世界に柔道と柔術を広めている。

 

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