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特別寄稿=心に響く校長のメッセージ=「若き健児よ。日本復興の先兵となれ」=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

話題になった渡辺校長引退の記事(https://withnews.jp/article/f0150331007qq000000000000000W00o0401qq000011755A)

 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に因る大津波で、当日予定されていた卒業式が中止になった立教新座高校の渡辺憲司校長(当時)は、高校のホームページ(https://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/20110311.html)にメッセージを記し、卒業生に向けて贈った。
 報道によると、そのメッセージは、SNSで拡散し、80万回以上のアクセスを記録、多くの人の胸を打ったとある。
 あれから10年――。渡辺校長の式辞が改めて紹介されている。それは、卒業生のみならず、被災しなかった者、すべての者の魂を揺るがせる力で読む者の心を掴む。
 ここでは、その中から一部を抜粋し、人間が「悲しみから学ぶこと」の大切さを校長の言葉から確認したい。(筆者の独断で文章を抜粋・紹介しているが、関心のある方は、PRESIDENT Online[コロナ禍の今こそ読みたい名文]に渡辺校長の全文が紹介されているので、ご一読頂きたい)

(本文より抜粋)
目に浮かぶのは、憎悪と嫌悪の海

卒業生に向けた感動のメッセージが話題になった渡辺校長が、311後を生きるための言葉を描き下ろした著作『時に海を見よ-これからの日本を生きる君に贈る』(渡辺憲司著、双葉社、2011年)

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
 このメッセージは2週間前、「時に海を見よ」と題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時、私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。
 しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。
 これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。
 しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

楽しむために大学に行く? ふざけるな

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。
 そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
 楽しむために大学に行くという者がいる。
 エンジョイするために大学に行くと公言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。
 ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得ること

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
 中学・高校時代、君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。
 それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ」
 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない…。

津波によって浸水した宮城県仙台市宮城野区沿岸(2011年3月12日)。津波火災も発生した(U.S. Navy photo, Public domain, via Wikimedia Commons)

時に、孤独を直視せよ

 海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。
 大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。
 くそまじめな男になれ。
 一途な男になれ。
 貧しさを恐れるな。
 男たちよ。
 船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。
 別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。
 愛に受け身はない。  …若き健児よ。日本復興の先兵となれ
 一言付言する。
 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。
 惨状を目の当たりにして、私は思う。
 自然とは何か。
 自然との共存とは何か。
 文明の進歩とは何か。
 原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。
 原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ…。
 地球上に共に生きるということは何か。
 救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。
 世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。
 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
 梅花春雨に涙す
 2011年弥生15日

「常懐悲感 心遂醒悟」

 『妙法蓮華経』の「如来寿量品・良医病子の喩」にある言葉で、「常に悲感を懐いて、心、遂に醒悟す」という意味である。
 仏教では、人の一生を「四苦八苦」と端的に要約している。「四苦」は「生老病死」であるが、次の「四苦」は、生ある限り受け続ける苦しみである。
「愛別離苦(あいべつりく)=愛する者との別れ」
「怨憎会苦(おんぞうえく)=会いたくない者と出会う」
「求不得苦(ぐふとっく)=欲しいものが得られない」
「五陰盛苦(ごおんじょうく)=肉体有るが故の苦しみ」
 これらの四苦を見ると、人間の一生は、如何に「悲しみ」に溢れていることか。
 誰人も、一生のうちで悲しみ、絶望、恐怖、孤独感を避けられず、長い一生を終えるのか、それとも、突然か、不意に襲われるか、これは生きる上で根源的なことであるから、誰も避けることはできない。
 東日本大震災で起きたことは、被災地の人々には、一瞬にしてこれらの苦を全て経験するという、想像を絶することであった。
 当事者でなくても、毎年この日に、繰り返し見る映像によって耐えがたい痛苦を感じるが、被災者の受けた「苦」をはかり知ることは、到底できない。

津波により駅舎が全壊した新地駅(2011年4月4日、福島県相馬郡、Kuha455405, via Wikimedia Commons)

「現代人の心は遂に何を悟るのか」

 ドイツの心理学・精神科医のゲーリー・ブルーノ・シュミットは、心理学者・セラピスト・人類学者に向けた『人は悲しみで死ぬ動物である』という本を書いた。
 この中には、人は悲しみのあまり死んでしまう…という、一貫したテーマを、医療人類学、民俗学、心理学、精神医学、社会史、文化史等々、あらゆる学問領域の資料を集め、分析している。
 人間だけでなく、動物にも同じように、「悲しみ」というものは致死的な苦しみを与えるという。
 しかし、生き残る者は、確実に何らかの「悟り」を得る。
 それは、どのような過程を経ると到達できるのであろうか。
 この書では、
(1)「悲しみを客観視することが絶望から抜け出す糸口となる」という。
 これは、渡辺校長の言う「いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない」という言葉に集約されていると思う。
 それでは、どのように乗り越えるか。シュミット博士は、
(2)「生きる力を与えてくれるものは、人間関係」であるという健全な指針を示している。

「生きる力を与える人間関係」とは

311を機に日本に帰化・永住を決意したドナルド・キーン氏。東京都の自宅にて(2002年10月Aurelio Asiain from Hirakata-shi, Osaka, Japan,via Wikimedia Commons)

 松尾芭蕉の「奥の細道」の英訳でも知られる日本文学研究の大家ドナルド・キーン米コロンビア大学名誉教授は、東日本大震災の直後、被災者への同情からではなく、強い尊敬の念から日本人になることを決意して国籍を取り、永住することにした。
 キーン博士は次のように語った。「日本は歴史的に繰り返される自然災害による絶望の中でも、『瑞穂の国』の自然に畏敬の念を抱き続け、災難に際しての、落ち着いた行動、他者への思いやりは、この地球上にほかにない上品な人々である。日本人への尊敬は以前に比べより強くなり、私も日本人になりたいと思った」
 『瑞穂の国』の民は、自然の怖さも恵も知り尽くしている。そして、悲しみ、絶望の淵にあっても、礼節を忘れず、支えあう同胞がいることを悟った誇り高い民族と言えよう。
 被災者の方々へ、心から深く敬意を表したい。
【参考文献】
『人は悲しみで死ぬ動物である』ゲーリー・ブルーノ・シュミット著、石井道子訳 アスペクト 2003年

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