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安慶名栄子著『篤成』(21)

 父は、そんな理不尽な差別的な行為に納得がいかず、他の日本人たちと熾烈な戦いを繰り広げてしまいました。父と同じような気持ちだった他の2人の日本人の地主が賛同し、最終的にはブラジル人家族もその待避線を使えるようになりました。けれども、それには条件があったのです。
 その3家族の子供たちはもはや地域の日本語学校へは通ってはいけないということになってしまいました。
 その条件を聞いた私たちは、身を切りさいなまれる思いでした。その罰を受けた子供は皆で9人でした。悲嘆に暮れているより、皆で午後から小川へ行き、ヒメハヤを釣ったり、ふるいでエビを捕まえたりして夕方まで遊んでいました。
 そんなある日の夕方、突然先生が現れ、頭からずぶ濡れになった私たちを見つめていました。すると小川のそばに座り込み、先生は泣き始めてしまいました。私たちも皆先生のそばに座り込み、一緒になって泣きました。
 その時に父がいつも語ってくれていたこと、「先生は絶対に尊敬し、心から愛することだ。先生とはあなたたちの親同然だからね」――そんな言葉の真実さを痛感したのでした。
 翌日、先生は父兄会を開き、子供たち全員に勉強をさせるか、自分が元いたパラナ州へ戻るか、どちらかを選ぶようにと宣言しました。結果は他でもない、私たちは学校へ戻ることができたのでした。どんなに嬉しかったか。
 学校には色んな活動があり、運動会や学芸会、日本の戦争映画の上映会もありました。戦争映画を見ると、私はやはり兄たちが戦死したという報告の手紙が届いたあの悲劇的な日を思い出し、むせび泣いてしまうのでした。
 とにかく、私たちは大好きな学校へ戻ることができました。
 学校はあらゆる面で良いところでした。日本語の読み書きや敬語の使い方はともかく、先生はいつも道徳的な、他人への尊敬や愛情、感謝と謝意を表す行為とか、そして特に親の有難さのお話をしてくれるのでした。
 恒例の運動会には地域の家族全員が参加し、学校に子供がいない家族の方でも参加できるイベントでした。
 種目は色々とありました。スプーンに卵をのせて走る競争、袋飛び、算数競争、二人三脚競争、50メートル、100メートル競走、リレーなど、他にもたくさんあり、本当に楽しい一日を過ごすのでした。
 あの頃はとても楽しく、時もあっという間に過ぎてしまいました。私たちも遊びや学校、宿題のほか、父の周りに座って色んなアドバイスを受けながら日々を過ごしました。
 ある日、また苦境に見舞われました。父の土地の一部は川岸の平地で、そこで米を植えていました。収穫が済み、乾燥させ、袋に詰める時期が来ていたのですが、大雨に見舞われ、ちょうど乾燥させていたところが浸水してしまったのです。隣近所の友人たちも皆腰まで水に浸かり、中には泳いでお米を回収してくれた方もいました。兄も元々魚のように泳げたので一生懸命手伝っていました。だが、冷え込んでしまったせいか、後に3か月ほど続けて咳をしてしまいました。
 その咳が治った後、父は兄の将来を懸念し、昼間仕事をして夜勉強が出来るようにサンパウロへ送る決心をしました。

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