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安慶名栄子著『篤成』(28)

 そこに着いた途端、一戸一戸が狭苦しそうにくっついており、あまりいい印象を受けませんでした。でももしかしたら隣同士でくっついていない一軒家が見つかるかもしれないと思いながら道を上がっていきました。
 すると、最後の家を見た時に「これだ」、と思いました。「絶対にこの家をお父さんに買ってあげる」と、条件さえ知らずに決心しました。その家は曲がり角にあり、3百平方メートル以上の面積の広い土地に建てられていました。その地区内でツインハウス式になっていなかった、唯一の家でした。
 兄の家族全員も手伝ってくれて頭金を作り、後は融資しましたが、数年で兄妹そろって全額支払う事が出来ました。
 父は庭に素晴らしい日本松や果樹を植え付け、兄は鯉やほかの種類の魚も澄み切った水に泳がせる綺麗な池を作りました。そのようにして、父の望み通りに、自分の家で母への法事を行う事が出来ました。親戚や友人、知り合いの方々も皆来てくれました。
 私は神様が本当に偉大な存在であることを心から感じ、笑顔や涙が入り混じった幸せを感じましたが、特に父の幸せそうな姿を見ると深い感謝の気持ちに浸ったのです。その時には、もはや供養祭より祝賀会のような気がしました。
 父の夢を一つ叶う事が出来たのでした。幸せそうな父を見るのがどんなに嬉しかったことか。

第15章  希望

 離婚して数年後、私は再婚をしました。そして、再度女の子に恵まれ、パトリシア・イオコと命名。
 末っ子がまだ手がかかる頃、イヴォーネはすでに高校生でした。いつも積極的な彼女は高校を夜間に変え、バスフで仕事をはじめました。そして一番驚いたのは、私が何も言ったことがなかったのに、イヴォーネは自分の初給料を封筒も開けずにそっくりそのまま私に渡してくれたのでした。彼女は本当に美しい、喜ばしい態度を示してくれました。
 会社は遠く、かなり疲れていたはずだったが、仕事も学校も休まずに毎日頑張っていました。学校の方はどうなっているのだろうかとふと思い、私はイヴォーネのノートを開いてみてびっくりしました。いつも大きなノートを持ち歩いていましたが、そのノートは真っ白でした。何一つメモされていなかったのです。「学校、さぼっているのかしら」と思い、一応通学のことを本人に聞いてみました。普通に通っているとの事。
 そんなある日、偶然イヴォーネの学友に会い、話をしていると彼女は「試験の時にはイヴォーネのそばに座るのに必死だわ。イヴォーネは全部知っているから私はカンニングしちゃうの」と。その日に私は自分の娘を疑って本当に後悔しました。イヴォーネは実にずば抜けた子なのでした。
 イオコは、3歳になった時にサントアンドレーにあった日本語学校に通い始めました。そこで6歳まで勉強し、7歳の時にサンカエターノ学院に移りました。3年生になった時の事でした。
 「先生が私に試験をさせてくれなかったの。月謝が払われていないからって」と。私の結婚生活もあまりうまくいっていなかったので、娘たちの教育を優先し、やり直そうと決心しました。

 

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