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「池江選手がんばって!」=独自の立体画贈ってエール=仏壇作り30年の浅井さん

池江さんからのお礼の葉書

池江さんからのお礼の葉書

 「リオの風景が懐かしいだろうと思って池江選手に絵を送ったら、お礼の葉書が来たよ」――そう語るのはサンパウロ市イタケラ在住の浅井義弘さん(熊本県、85歳)。リオ五輪に出場した池江璃花子選手へ、浅井さんはリオの風景画などを2回に渡って送った。それに対しお礼の葉書が届き、「大事にしまっている」と顔を綻ばせる。


 2016年のリオ五輪では5位に終わり、惜しくも表彰台を逃した池江選手。とはいえ、56秒86の日本新記録を樹立して自己ベストを見事更新、4年後に予定されていた東京五輪の雪辱を誓ったと報道されている。
 そんな18年、池江選手がリオの風景を懐かしがるのではと思い、浅井さんは立体風景画を贈ろうと思いたった。本職が仏壇づくり30年の浅井さんは、その技術を応用した独自手法でリオのコルコバードの丘を空から望む立体的な風景画を描いて贈った。
 浅井さんのもとに池江選手のからお礼の葉書が届いたのは2019年12月3日。この間、池江選手は同年2月に白血病であることを公表した。洋書には《応援ありがとうございます。これからもよろしくおねがいします》と書かれている。だが同12月17日、同選手は退院報告の中で、東京五輪は事実上断念し、2024年パリオリンピックの出場・メダル獲得を目標とすることを明らかにしたというタイミングだ。
 断念するかどうかを悩む辛い心境の中で、浅井さんへのお礼状を書いたのかもれない。
 そして、池江選手は闘病生活の最中、パンデミックにより東京五輪1年延期が発表され、出場の可能性が生まれた。そんな2020年後半から競技参加を開始。
 浅井さんは、ぜひ五輪出場してほしいという願いを込めて「RIKAKOがんばれ夢へ!」という文字を立体的に仕上げた作品を作って、21年2月15日に郵便で贈った。その後、4月にリレーメンバーとしての東京五輪出場が決まった。
 ただし、出場決定までに浅井さんの作品が手元に届いた保証はない。
 本番まであと1カ月、「池江選手の東京五輪での活躍を期待してるよ!」と声を弾ませた。


独自に編み出した浅井式立体画=仏壇材料からヒント得て開始

風林火山の作品を手にした浅井さん

風林火山の作品を手にした浅井さん

 浅井義弘さんの立体画は、表面が硬く、独自に編み出した技法で制作されている。「石膏でしょうと素材を当てようとした人もいますが、石膏じゃない。企業秘密です」と笑う。
 この立体画をはじめたのは約3年前。元々絵が好きだった浅井さんの本業は仏壇作り。工房にある材料をみて、ふと思いつき試行錯誤を重ねて「盛り上げ立体技法」(浅井さん命名)を編み出した。
 風景画のほか、字を立体的に作る事も多く、現在は「風林火山」の字を鋭意製作中だ。ヤシの皮や落ちていた枝などを着色し、装飾したオブジェのような作品も作るなど実験的な作品にも取り組んでいる。
 工房の物置に日々拾った枝や花屋が捨てるというので引き取ったものを材料として保管しており「人にとってはゴミですが、私には絵の材料になる。日常は宝物に溢れている」と笑みを浮かべる。
 将来は「個展を開きたい」と語る浅井さん。既に工房には数十点ほど作品があり、個展を開こうと思えば出来そうな点数だが「最初の方は試行錯誤で作った作品であまり良くない」と苦笑い。「でもサッカーのペレさんもカズさんも、最初は素人だった。試行錯誤の積み重ねが大事」と熱く語る。

製作中の「風林火山」

製作中の「風林火山」

 「絵では子供を育てられない」と考え、家庭を持ってから今日までの30年程仏壇作りを本業としてきた浅井さん。以前は月に1基5千レアル前後の仏壇を3、4基売っていた。「でも最近は仏壇も下火。今は不動産収入があるので好きな絵をやっていきたい」と決意したという。
 作品の販売も考えており、1点千レアルで販売する予定。作品購入や注文の問合わせはアサイ仏壇(電話=11・2524・8396)まで

□大耳小耳□関連コラム
    ◎
 創価学会の仏壇を約30年作り続けてきた浅井さん。「仏壇販売は下火」と語っていたが、今は非日系の仏壇職人も多く「技術も高い」と頷く。さらに以前別の宗派から仏壇の発注を受けた際は「購入者が非日系だった」と振り返る。ブラジルの非日系にも仏教信奉者がふえている証だろうか?

 

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