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安慶名栄子著『篤成』(38)

 するとパイロットは着陸する前に首都の上を一周して下さいました。上から見るブラジリアの眺めは誠に見事でした。世界に名の通る建築家ニーマイヤーの建築物を父の側で空から眺められた経験は生涯忘れません。
 父が85歳を迎えた時、サンカエターノ・ド・スールのとあるクラブで大きな祝賀会を催しました。父には内緒でした。その時のために20年以上も合わなかったガスパール家の皆さんも招待しました。父の親戚、友人、そして政治家も出席して下さり、議員さんと市長さんの祝辞を頂きました。
 父が会場に着いてガスパール家の皆さんを見た時に、感激のあまり言葉を失ってしまいました。そして会場を見回し、10年以上も会わなかった親せきや友人の姿も見て、本当に喜んでくれました。
 具志堅洋子先生と仲本末子先生が沖縄独特の三線の音色に合わせて琉球舞踊を披露して下さいました。
 会場の皆さんからのあいさつを受け、最後には疲れていたと思います。父は親戚友人からとても好かれていたのです。

第25章  思いがけない再会

 すでに年老いていた新垣さんがブラジル沖縄県人の間で行われる数多くの催し物を報道する雑誌を何気なく見ていた時、ふと移民船上で知り合った友人・恩人の名前を見て、すぐに篤成の住所を探し出し、サンパウロの奥地バウルーから遥々サントアンドレ―まで訪ねてくれました。
 1930年。たった19歳の少年新垣君は地球の反対側、ブラジルまで孤独で海を渡っていました。そこで直面した困難な境遇から救われ、2人の間で深い友情が培われたがサントス港に到着した直後からお互いの消息が分からなくなってしまいました。新垣さんはその頃のことを忘れることなく父のことを思い、また篤成も新垣君がカンポ・グランデでうまくやっているだろうなと、たびたび懐かしく想うのでした。
 男も涙を流します。父は着いたばかりのお客さんの顔を見て最初は「だれ?」と言いましが、すぐにあの遠い昔に戻り、強い絆で結ばれた友人を思い出したのです。50年ぶりに再会した2人は手を取り合い、無言のまま目を涙一杯にして数分も見つめ合っていました。
 その再会以来、新垣さんの娘、ラウラさんがお父さんをサンパウロまで連れてきて下さったり、私が父をバウルーまで連れて行ったりして2人は何度もお互いに行ったり来たりして楽しいひとときを過ごしました。そのような語り合いは、新垣さんが年上の友人より先に逝ってしまうまで頻繁に続きました。
 父の親友が亡くなって後も私たちは、よくバウルーまで行って新垣さんのご家族の皆さんを訪ねて親しく付き合いました。さまざまな時代の様々なきっかけにより、バウルーという町はとても親密な場所になりました。
 私は数回スペインへ行く機会に恵まれましたが、そんなある時、バウルー出身のマルシアという方に出会い、彼女は私の家族全員と親しくなりました。マルシアのお父さんが80歳の誕生日を祝う時には、私と父と軍人のパソス曹長、3人でバウルーまで行ったことも懐かしく思い出されます。

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