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文芸

刊行物『ピンドラーマ』

ニッケイ新聞 2013年7月12日  月刊ブラジル情報誌『ピンドラーマ』7月号が刊行された。  「移民の肖像—ジャカレイ・ジャミック移住地に住む三好夫妻」「コンフェデ杯/ブラジル代表取材記」「ユバ農場」、映画、サッカー、経済、イベント情報なども掲載。  日系書店、土産物店、レストランなどで配布中。問い合わせはコジロー出版(11・ ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第113回

ニッケイ新聞 2013年7月11日 「ここから二時間もかかる田舎なんだ。週末はシェッフェのために使って……」  パウロの言葉を制して、叫子が言った。パウロが家族に引き合わせたくないと思っているのは、小宮も感じていた。 「何をそんなに心配しているの?」  パウロはソファに座りこみ、頭を抱え込んでしまった。 「何か問題でもあるのか? ...

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刊行物『朝陰』

ニッケイ新聞 2013年7月25日  句集『朝蔭』7月号(第405号)が刊行された。  「雑詠 寿和選」から3句「物忘れ人並と聞き秋うらら」(田口やよい)「余生とは自由で孤独残る虫」(田中保子)「この国に果てるも悔いなし移民祭」(堀川暁星)、各句会便り、「笑わない老人」(宮崎花江)ほか。

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第114回

ニッケイ新聞 2013年7月12日  グスターボは空腹なのか腹を鳴らした。 「そんなにほめられたら料理しないわけにはいかないわね」  叫子はセシリアにキッチンに案内するように言った。  しかし、叫子はすぐに戻ってきて、日本語で言った。「お米がないのよ。近くにパダリアがあるらしいから子供たちにパンと米を買いに行かせて」  パウロが ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第115回

ニッケイ新聞 2013年7月13日  日本から持ってきたカメラや小型テープレコーダーは売り払ってしまい、金目のものはなかった。仕方なく児玉はテレーザに助けを求めた。理由を説明すると、二つ返事でテレーザのアパートで生活するのを許してくれた。  パウリスタ新聞一面の入稿作業は夜の八時には終わっていた。仕事を終え、コンデの坂を上りジョ ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第116回

ニッケイ新聞 2013年7月16日  時事通信から配信されたニュースで一面記事を作成していた。午前中に翌日の新聞のトップ記事と右肩にどの記事を掲載するかなどを決め、その原稿を印刷工場に回し、記事のタイトルを四階の写植部に回しておけば、昼休みから夕方四時、五時までは何もすることがなかった。  編集室は窓際から翻訳・スポーツ欄の小笠 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第117回

ニッケイ新聞 2013年7月17日  目下のところ、ブラジルの在日権益代表であるポルトガル総領事館から旅券の発給を受けた日系ブラジル人は前記中平兄弟のほかサンパウロ市生れの千崎クララ夫人(二十六=杉本芳之助令嬢)および令嬢の四人だけであるが、中平兄弟の方は他の航空会社の通し切符まで手にいれている関係で、終戦後の日系ブラジル人のブ ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第118回

ニッケイ新聞 2013年7月18日  戦死した二世の家族の所在先は、サンパウロ総領事館ですぐに割り出すことはできた。児玉は土曜日、日曜日を利用してその取材を始めた。パウリスタ新聞の取材ではなく個人の取材なので取材車を持ち出すことはできなかった。児玉はマリーナとの会話学習を復活させるために、彼女を取材に誘った。サンパウロ市から遠く ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第119回

ニッケイ新聞 2013年7月19日  思わず児玉が聞き返した。 「広島と長崎は原爆で廃墟になった。何十年も草木も生えない。ピカドンにやられてみんな死んでしまった。そんな記事を読んで喜ぶ日本人がいると思うのか」  甲斐一家も一旗上げるつもりでブラジルの土を踏んだのだろう。故郷には家族もいる。まして長男が帰国し、帝国陸軍の兵士として ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第120回

ニッケイ新聞 2013年7月20日  十八家族五十四名は、リオデ・ャネイロで下船、イーリャ・ダス・フローレス移民収容所に一先ず入所した後、アマゾンに向かった。四人の孤児はそのままサントス港に向かい、彼らがブラジルの土を踏んだのは、それから二日後の十三日のことだった。「明るく瞳輝いて、孤児四名元気で着く」という見出しで、二月十四日 ...

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