ホーム | 文芸 (ページ 208)

文芸

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第101回

ニッケイ新聞 2013年6月22日  朴仁貞は以前暮らしていた恩田町の知人を時折訪ねていた。そこの朝鮮人部落から帰還した在日も少なくはなかった。  大学から戻ると部屋の灯りもつけずに、朴仁貞がダイニングキッチンのテーブルに腰かけたまま物思いに沈んでいた。いつもなら「お帰り」と声をかけてくるがそれもなかった。 「どうしたの? オモ ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第86回

ニッケイ新聞 2013年6月1日 「日本人のパスポートを使い、韓国語も話せない。同胞だといえば、逆に激しい怒りを買うだけだ」  児玉の言っていることは大げさではなかった。 「民族の血なんていうのはしょせん虚構だ。俺が韓国で育てられれば、韓国人として成長するだろうし、日本で生まれて育つから日本人として成長した。生まれた場所の風土、 ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第102回

ニッケイ新聞 2013年6月25日  しかし、朴仁貞は一度言い出しら、簡単にはそれを引っ込める性格ではないことを幸代自身がいちばん理解していた。  最後には隣の住人に聞こえるような大声で幸代を詰り出した。 「もう二十年近くも家族と会えないでいるのに、どうしてそのくらいの金が作れないのか。この親不孝者が、大学まで卒業させてやったの ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第87回

ニッケイ新聞 2013年6月4日 「ナチズムとは違って、日本人からの厳しい差別を受けている在日が、その差別に抗して民族文化を守るための自衛手段よ」 「よくわからない。民族文化を守るために、日本人との結婚は忌避する。それではアメリカ人やイギリス人とはどうなんだ。中国人ともダメなのか」 「それは普通の国際結婚でしょ。私が問題にしてい ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第103回

ニッケイ新聞 2013年6月26日  短期訪問団の日程には沙里院も含まれ、沙里院旅館で昼食を摂る。それが共和国で暮らす帰国者にも伝わり、短期訪問団が沙里院を訪れる日には、沙里院旅館の前に帰還家族が集まってくるようになったらしい。 「白さんがバスから下りると、やせ細った男が近づいてきて、恩田町の白さんですかって聞いてきたんだって。 ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第88回

ニッケイ新聞 2013年6月5日  ソウルには三人の子供が結婚し、孫が生まれていた。最初に彼女一人が帰国した。日本に足場を作り、その後に韓国内の家族を次々に呼び寄せた。  韓国から帰国した直後、鶴川は東京都江戸川区にある引揚者のための常盤寮に入った。常盤寮は老朽化した木造長屋で、引揚者の多くは下関港に降り立ち、列車で東京までやっ ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第104回

ニッケイ新聞 2013年6月27日 「わしらは祖国が在日を温かく迎えてくれると信じて疑うことはなかった。しかし、家族と再会してはっきりしたことがある。在日は共和国では差別されているし、共和国は国家再建のための人手が足りなかったからわしらに目を付けたに過ぎない。生活も日本にいた頃より貧しい暮らしをしている。長年、家族の再会を認めな ...

続きを読む »

刊行物『朝蔭』

ニッケイ新聞 2013年6月6日  句集『朝蔭』5月号(第403号)が刊行された。  「雑詠 寿和選」から3句「サシペレレ居さうな草屋秋の風」(小村広江)、「思ひ出をあたため夫婦庭焚き火」(栢野桂山)、「改良種昔のすみれ今いづこ」(伊津野静)、「難聴」(堀石凡生)、「酉年会の続き」(纐纈喜月)ほか。

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第89回

ニッケイ新聞 2013年6月6日 「おばあちゃんは日本人なんだから、日本にいればいい。でも、俺たちは韓国へ帰ろう。ここは俺たちの国ではない。韓国人から石を投げられてもそれは仕方ない。それはオカエシだからがまんするしかない」  中学生の幸一が言った。  日本人の差別意識の根深さに頬を張られた思いだった。朴美子が日本人との子供を産み ...

続きを読む »

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第105回

ニッケイ新聞 2013年6月28日  帰宅すると、炬燵に入ろうとする母に伝えた。 「これから手続きを開始して、いちばん早い訪問団に入れるのはいつなのか聞いてきて」  幸代のその一言を待ちかねていたように母親が答えた。 「お前ならそう言ってくれると信じていたよ」  早稲田大学の講師を辞職することには躊躇いもあるが、幸代の収入で共和 ...

続きを読む »