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文芸

連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第96回

ニッケイ新聞 2013年6月15日 「ジャポネース、教えてあげるよ。ブラジルには男も女も、生きている人間の数だけ肌の色の違う人間がいるのさ。でもこの国には、二種類の人間しかいないよ。金持ちと貧乏人のどちらかさ。お前さんも手遅れになる前に、こんなファベーラ同然のアパートから一日も早く出ていくことだよ」  サンドラはバスルームに入り ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第97回

ニッケイ新聞 2013年6月18日  どの記事を一面トップにするか、日本の新聞を参考にして、紙面構成を考え、午前中に一階の印刷工場へ原稿を送る。  見出しは写植、記事は鉛を溶かした活字で組まれ、そのゲラが夕方の六時くらいに上がってきた。昼食を自宅に戻ってするという口実で、ゲラ刷りが上がってくるまで、児玉はトレメ・トレメで熟睡した ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第98回

ニッケイ新聞 2013年6月19日  マリーナはウィスキーの空瓶が散乱し、埃だらけの部屋を見て、言葉を失っていた。 「ありがとう。久しぶりに食事らしい食事をしたよ」  児玉はデザートのマンゴーを頬張りながら言った。 「児玉さん、このアパートは日本の大学を卒業したあなたのような人が住むところではありません。一日も早く出た方がいいと ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第99回

ニッケイ新聞 2013年6月20日  追い求める自分にいつか出会えることを祈っています。ブラジルにまできてこのことで言い争うつもりはありませんが、きっとそれは私が思っている朴美子とはまったく違った姿のあなたなのだろうと思います。  羽田から飛び立つ五日前のことでした。あの晩、白い錠剤を二階から投げつけてきたあなたに、いつもとは違 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第100回

ニッケイ新聞 2013年6月21日  楽園からの手紙  金子幸代は横浜市緑区十日市場の市営住宅を当て、母親の朴仁貞と二人暮らしをしていた。二DKの集合住宅だが、以前住んでいた恩田町の朝鮮人部落よりははるかに暮らしやすかった。父親と兄、姉らが共和国へ帰還していった後も、夜が明けると同時に、リヤカーを引く音や夫婦喧嘩の声が絶えない長 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第85回

ニッケイ新聞 2013年5月30日  自分にかけていた布団をずらして児玉の足にかけようとした。その布団の上に抜け落ちた屋根の隙間から容赦なく雪が舞い込んでくる。湿気を含むだけ含み重たくなった掛け布団をずらす力も老人にはなかった。掴んだ布団の淵から手が外れて、児玉の膝にぶつかった。弱々しく、軽く叩かれたような感触でしかなかった。 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第84回

ニッケイ新聞 2013年5月29日 「持ち帰りが一匹、二匹くらいなら、その被爆者は簡単に死なないんだ。でもごっそり付いている時は、翌日訪ねていくとほとんど死んでいたよ。シラミは死んだ人間の血でも吸うと言うけど、違うんだ。もうすぐ死ぬ人間から離れて生きのいい人間の方へ移動する。うわ言のように広島、広島って言いながら死んでいった被爆 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第83回

ニッケイ新聞 2013年5月28日 「父も母も韓国人なの。私の中に流れているのはまぎれもなく韓国人の血なの」  「韓国人の血」、「民族の血」という言葉を美子はしばしば口にした。その強い口調とは対照的に、美子はいつも自分の中にある不確かさに脅えていた。地図も持たずに不慣れな山に登るようなおぼつかなさを彼女は常に抱えていた。  児玉 ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第82回

ニッケイ新聞 2013年5月25日  祖父の言った言葉にジョゼは素早く反応した。 「それは日本の俳句とは違うさ」  ブラジルで流行している俳句とはいったいどんなものなのか。季語を詠み込まなければならない俳句に、四季のない国で季語はどうなっているのだろうか。 「日本の四季を知らなくても、一世から聞いた日本の姿を想像することはできる ...

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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第81回

ニッケイ新聞 2013年5月24日 「今から思えばかわいそうなことをしたと思うが、あの頃は日本に帰ることしか念頭になかった。自分の娘をブラジルに置き去りにすることもできないし、肌の黒い孫を日本に連れ帰るなんて、想像しただけでも恐ろしくなった」  野村の本音なのだろう。  野村だけではなくすべての移民の意識を変えたのは、日本の敗戦 ...

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