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私のシベリア抑留記=谷口 範之

自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(19)

 カンボーイは苦り切った顔で私たちを眺め、長屋の前のドイツ人捕虜たちのニヤニヤ笑いは、同情的な顔に変っていた。結局一台のトロッコも押せないで引揚げた。 (註)一九九二年の墓参行で当然ここにも立ち寄った。二五四連隊第一大隊が収容された錫鉱山である。当時は第一大隊がいることを知らなかった。墓参行を計画した吉沢秀夫元軍曹は、第一大隊に ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(18)

 戦友を誘って墓穴掘りに出掛けた。ツルハシと鉄棒とスコップを担いで丘を登った。丘の上は薄赤色の地肌が一面にひろがっていた。埋葬され、埋め戻した土の盛り上がりが一列に並んで、荒涼とした風景である。  一番奥に二ヵ所だけ、墓穴の輪郭が浅く筋をひいてあった。カンボーイは二人ついてきた。ここから脱走などとても出来るものではないのだ。ご苦 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(17)

  一二、コルホーズ(集団農場)でジャガイモの収穫外  改善されない食料事情のために、地獄絵図の亡者のように痩せ衰えた捕虜を扱い兼ねたソ連側は、二〇人~三〇人の単位で軽作業につけることにした。コルホーズ(集団農場)のジャガイモの収穫が最初に来た。  地の果てまで続いている広大なイモ畑は枯草に覆われていた。畝の端に三〇人がならぶと ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(16)

 見回すと全員俯いている。軍の組織は解体しているはずだが、われわれの意識は、まだ階級秩序にしばられていた。上官の言葉は理不尽であっても、一切異をとなえないで死地に飛び込む習慣が残っていた。さらにソ連側は旧日本軍の組織をそのまま利用し、捕虜の統率を容易にしようと図った節があった。 (註)ビクトル・カルポフ(一九九六年ウクライナ軍中 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(15)

 次は馬糧トウモロコシが何日続いただろうか。大人の親指の爪ほどにふくれた粒は、どんなに強く噛んでも噛みきれない強靭な外皮に包まれていた。二回だけであったが、外皮も胃袋へ送り込んだ。次の日外皮がそのままの姿で体外に排出されたのを見た。それからは中味だけを食うことにした。  この三種以外は薄粥だけである。啜ったときだけ飢餓感が押えら ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(14)

  九、食事  初日に筆を戻す。  初日、死ぬ思いで宿舎に帰りつき、欲も得もなくジットリ湿っている床板に横たわった。一杯の水も一椀の飯さえない、雪を口に含んで乾きをおさえた。  前節で二日目から一〇日近くまで、どこでどんな作業をしたのか、記憶が消えていると書いた。  一九九二年、ラーゲリ跡へ墓参に行った時、同行の戦友たちも私同然 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(13)

 身辺警護をされる要人待遇にたとえて、気分転換をしてみたが、現実の惨めさには勝てなかった。坂道を下り終ると、すぐ目の前に火力発電所の大きな建物があった。その右側を通った隊列は、発電所の裏へ導かれた。低湿地帯で地面は凍てついていた。  発電所用の貯水池の土手を嵩上げする作業である。六〇〇人の捕虜たちは、土手を取り巻くように一列に並 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(12)

 所長は数名のソ連軍下士官に命じて、捕虜の人員を数えさせた。ソ連軍下士官たちは各中隊の間に入り、 「アジン、ドヴァ、ツリー……」  と、声を出しながら数えてゆく、途中でやめて先頭に戻ると、初めから数えなおす。途中でやめるのは、数えているうちに分らなくなるらしい。二、三回繰返したのち、最後尾に辿りつく。最後尾が一人~三人缺けている ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(11)

 鋸は錆びている上、目立てを何年もやってないような代物だから、屈強な奴らでさえ薪に切ることはできなかった。しかし薪を持参しなかった報いは、たちどころに現れた。  脱衣箱に着衣と雑嚢を入れて浴場に入る。内部は広く冷え冷えとしていた。正面には階段状に板が取付けてある。カンボーイ(監視兵)が小桶に水を入れてくれた。汗がでたら水をかぶっ ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(10)

  三、蒙古系住民の好意  トラックに戻り辺りを見回す。路より少し離れた木立のなかに、土壁の貧しげな家が数軒見受けられた。その家々から数人の人影が出てきた。老人ばかりである。小柄で蒙古系らしい容姿である。長老らしい老人が 「ヤポンスキー?」  と声をかけてきた。  うなずくと彼らは家に戻っていった。再び出てきた彼らは手に手にパン ...

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