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連載小説

パナマを越えて=本間剛夫=51

 それと、自殺を罪悪とする彼女らの宗教が最後の最後まで生き伸びる手段を選ばせているのだろう。 私は衛兵所の前に立っていつものように命令受領者であることを申告したあとで、前列の兵長に訊ねた。「きのうの米兵の容体は、どうでありますか」 兵長は筈えず、うしろの中尉をふり向いた。中尉はきのうのことで私を知っている筈だ。「分らん」 中尉は ...

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ガウショ物語=(9)=底なし沼のバラ=<1>=美しくも不吉な花のいわれ

沼に咲く一輪のバラ

 「見えるかね。あそこの下の方、丘陵の右手の方にあるウンブーの木が?」 そう、あそこが廃屋になってしまったマリアノの屋敷だ。あの寂れた場所に一本の桃の木があって、その実のうまいことといったら、わしはほかで出会ったことがない。今でもマルメロの木がたわわに実を結んでいるが、それはそれでまた、びっくりするほど見事なもんだ。 さらに三、 ...

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パナマを越えて=本間剛夫=50

 微かな小さい靴跡は、踏み分けられた葦の間を点々と私の十六号病棟の方に続いていた。その方向から、三角山に登って行ったのだろうと判断したが、足跡はそこで絶えていた。 起床までまだ三十分はある。わたしは小経に出、三浦軍曹の個室の前を注意深く通りぬけ寝床にもぐり込んだ。 助ける、といって、どんな方法があるだろう―私は考え続けた。細谷と ...

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パナマを越えて=本間剛夫=49

         第二部                  1          夜に入るとともに爆撃は止んで、濠の中は天井から落ちる水滴のほかには何の物音もしない地底の静寂が始まっていた。 眼をとじると、ゴム林に墜落した女子航空兵の顔が浮んだ。上野上等兵と私を襲った憎むべき敵であるにも拘らず、私にはそれほどの憎悪の念は湧かなか ...

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パナマを越えて=本間剛夫=48

 私にとっては思いもかけない待遇であった。五十円でも生活は無理ではない。とにかくブラジルに帰る日までの生活が維持できれば、それ以上の望みはない。私は深々と頭を下げた。 統いて「学校の近くに下宿を見つけときましょう」。来月から来て貰うことにして、それまでに「ブラジルに置けるアメリカ系企業の財政的役割」について英文でまとめてきて下さ ...

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ガウショ物語=(8)=黒いボニファシオ=《4・終わり》=の怨念で男を滅多刺し

馬術に長けたガウーショの様子(Foto Eduardo Seidl/Palacio Piratini)

 それでも、狙いを付けて力いっぱい腕を突き出したから、山刀は付け根まで婆さんに突き刺さった。その山刀を持ち上げると、宙吊りにされた婆さんは身をよじ捩りもがく……。だが、それと同時に、あのガウショが放ったボーラの玉の一つが頭の天辺に、続いてもう一つがあばら骨の辺りに鈍い音を立ててぶちあたり、奴は地面に這いつくばった。首が折れた牛み ...

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パナマを越えて=本間剛夫=47

 ブラジルに帰れないことが確実になると、腰を据えて日本での生活を考えなくてはならない。日本で中学も出ていない者の就職がどんなものであるか私には想像できた。就職を選ばなければ、どの軍需産業も労力を求めていたから、生きてゆく道は開かれている。 しかし、それは最後の手段だ。兄の経営する病院の受付、薬剤室の手伝いでもいいではないか。そん ...

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パナマを越えて=本間剛夫=46

 医務室に行くと軍曹の姿が見えず、机はもとのままに整頓されていた。私は何故ともなく心の安らぎのようなものを感じて濠の奥に歩を移した。中村中尉の今朝の興奮が私の頭の中で不快な重圧を感じさせていたからだ。 彼の年令では軍国の臨戦態勢の中で成長したはずだがあるいは軍隊教育のせいなのか、彼を締めつけている頑迷な排他思想の枠を外してやれる ...

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ガウショ物語=(7)=黒いボニファシオ=《3》=滅多切りの狂宴の最中に

 「何だよ、ムラタ!……オレはお前の男じゃないか! ばあさんの使い走りのガキじゃねえ。ほら、取りな」 そう言いながら、腕を伸ばして菓子包みを差し出した。 その時、ナディコが割り込んできて、それ引ったくるとちょっと重さを確かめてから、そいつを黒い野郎の顔に叩きつけた。 おめえ前さん! まったくもって、とんでもねえ事がおっぱじまった ...

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パナマを越えて=本間剛夫=45

 続いて情報を申告しなければならなかったが、報告すべき事項が今日に限って多すぎた。しかし、省略するわけにはいかない。「どうしたのか、お前、その血は?」 軍曹は初めて私の上衣から袴にかけてべっとりとこびりついた血に気づいたのだ。私はそれに答えるかわりに、午前、患者を連れてきた石川農耕班の上野上等兵の最期の模様、内地から三隻の潜水艦 ...

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