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オーリャ!

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ニッケイ新聞 2011年1月12日付け  ボリビアのサンフアン市が、同市の少年野球チームのため道具の寄付を求めている、そんな話を昨年末に紙面で紹介した。すると読者から早速電話があり、自分もいくつかグローブがあるので寄贈したいという。  先方に連絡すると喜びの返信。ちょうど日本語センターのふれあいセミナーに同国から参加があるため送 ...

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ニッケイ新聞 2011年1月8日付け  ナタルはパネトーネに七面鳥、正月はお餅と、日系社会の年末年始は胃袋が休まる暇がない。大晦日にリベルダーデ広場で行われた餅つき祭りは、餅人気で今年も大盛況を見せた。  クアルテロンを超える長蛇の列に並ぶ来場者の忍耐力に頭が下がる。無料配布は約35の日系団体、企業、個人から寄付で集められた餅米 ...

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ニッケイ新聞 2011年1月7日付け  「ヤマで生まれて、ヤマで結婚し、ヤマで死ぬ。私はここを選んで生まれてきたの」  クリスマスの舞台を、見事に作り上げた弓場農場の熊本由美子さんの言葉が、耳低に残る。  移住者含め、人は本来より適した場所を求めて動く。生まれた場所をそう思える人は幸せだ。  弓場の存続問題である若者の流出が止ま ...

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ニッケイ新聞 2011年1月6日付け  3日開かれた麻生元首相の歓迎会には、多くの留学OBの姿があった。  その一人、鹿毛アデマールさんは第2回留学生。南ア経由の船旅で着いた日本は、「自分の何倍のエンジニアでも学卒で月給2万円」の時代。「でも、皆が頑張ろうと努力していた」という。  「私のように戦後に育った日系人はどこでも『ジャ ...

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ニッケイ新聞 2010年12月25日付け  ISECカエル・プロジェクトが4日にサンパウロ市で開いたナタル・フェスタ。当日は四世のレオナルド・ヒデオ・コレイア君(13)とレチシア・サユリさん(15)兄妹も参加していた。  5年間日本で公立学校に通った2人は、自身の名前を全てカタカナで書く。「僕たちは日本で外国人だから」とブラジル ...

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ニッケイ新聞 2010年12月24日付け  今年もあとわずか。毎年編集部では、1年の出来事を総ざらいする「10大ニュース」を選び、年内の最終日に掲載している。  2008年の日本移民100周年、09年のアマゾン80周年と続いただけに、記憶に残る大きなニュースがなかった、というのが選ぶ前の印象だった。  とはいえ作業を終えてみると ...

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ニッケイ新聞 2010年12月22日付け  17日の県連忘年会。「こんなに集まったのは初めてでは」と役員の一人。活動への評価が高まっている事の表れか。  中沢氏、松尾氏から与儀現会長にバトンが渡って3年、定款改正、年間報告書の作成、フェスチバルも着実に運営するなど、県連の安定ぶりは目をみはるものがある。  そしてついに念願の事務 ...

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ニッケイ新聞 2010年12月17日付け  「消えた日本人移住地」は、約2千以上といわれる。アララクアラ線にあったボア・ソルテ植民地もその一つ。  カタンドゥーバ駅周辺を中心に日本人が土地を購入、1918年に創設された。最盛期には約100家族が住んでいたとされる。  1930年代のコーヒー不況を受け霧散したが、22年には日本人小 ...

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ニッケイ新聞 2010年12月16日付け  年末の風物詩、紅白歌合戦。「紅白」を名乗る大会が文協ビルで行われるのだけでも3回ある。やはり歌の祭典の中でも格別のものだろう。  既に開催された2つの紅白では、小林幸子を髣髴とさせるこだわりの衣装、演出に生バンドなど、確かにカラオケ大会とは一線を画す感があった。  しかし驚いたのは、そ ...

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ニッケイ新聞 2010年12月15日付け  普段は50年、100年といった大きな節目が話題になりがちだが、その一方、地道にコロニアで続く活動もそれぞれの節目を喜んでいる。そんなことを改めて感じさせる便りが続いた。  東京農大会の会報が今月で50号を迎えた。創刊28年、今も編集を担当する沖真一副会長が第2号から関わっているそうだ。 ...

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