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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか

ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(終)=不可能に近い復帰だが=なんでも起こり得る国

5月7日(水)  今回の取材に応じてくれた全ての人に「もし、〇六年にフジモリが大統領選に出馬したら、投票しますか?」という問いを投げかけてみた。  「する」「しない」と即答した人は、以外に少なかったというのが感想だ。  「対立候補による」「まず疑惑を晴らしてからだ」などの条件をつける人、「分からない」と明言を避ける人もいる。   ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(9)=フジモリが分らない―=戸惑いながら弁護する声も

5月6日(火)  今年三月三日付の『エル・コメルシオ』紙の一面をフジモリが飾った。彼が紙面を飾るのは珍しいことではないが、いつもの批判記事とは少々雰囲気が違っていた。  フジモリがゲスト出演した日本のバラエティー番組を取り上げたもので、冷徹なイメージだった元大統領はパーマをかけ、増えた顔の皺はいささか生活の疲れを感じさせる。   ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(8)=亡命後 再燃する日系差別=「帰ってくるな」と語る2世

5月3日(土)  「この国には差別が厳然としてある。残念ながら、それは日本人、日系人に向けられることも多い」  ある日系旅行社の代表ははっきりとした口調で話した。   ある意味で白人支配階級対有色人種の戦いでもあったともいえる九〇年の大統領決戦投票で、それは顕著に表れている。  「日系人の入店を拒否する高級レストランや、順番を後 ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(7)=フジモリ政権の遺産=捨てられた街パチャクテ

5月1日(木)  「フジモリはいつ帰ってくるの?」「日本に帰って伝えてくれよ、俺たちは待ってるって」  道端で話している人々などに話しかけると、笑顔で言葉を投げかけてくる。  筵で作られた家の群れはなだらかな丘陵を描く砂漠のはるか向こうまで続き、かすんで見える。まるで核戦争後に生き残った人類が不毛な地にしがみついているようにも見 ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(6)=「フジモリイズムは永遠に」=選挙支援事務所 今年二月に開設

4月30日(水)  リマ、セントロ。コロニアル調の建築物を多く残すこの地域は現在、雑多な雰囲気で道行く物売りや車の往来でにぎやかだ。  かつて偉容を誇っていたであろう重厚な作りの立派な建物群はポスターなどが貼られ、黒くすすけている。  治安の面でいうと複数の少年たちによる強盗事件が頻発している。最近も防犯カメラで写された犯罪現場 ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(5)=当選後も揺れ動く心情=祝電を喜べない地元日系人

4月29日(火)  当 当選してしまった以上、日系人のイメージを守るため、応援するしかないー。  日系人協会として祝勝会を開くなどの動きはなかったが、協会はフジモリの要請で非公式に数百人もの日系人リストを作成するなどの協力をしている。  しかし、協会がフジモリ支援の立場をとるに至るまでにも、日系社会の揺れ動きを見ることができる。 ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(4)=怖れとまどう日系社会=大統領当選の不安な前夜

4月26日(土)  九〇年七月二十八日、日系人として初めての大統領、アルベルト・フジモリがペルーに誕生した。  この未曾有の出来事に、新大統領の両親の母国である日本はフジモリフィーバーともいえる社会現象まで引き起こした。  しかし、地元日系社会は冷静な表情を繕いつつ、水面下では底知れぬ不安と過去の亡霊に悩まされていた。   丸井 ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(3)=「目立たぬように―」=1940年暴動 覚めやらぬ恐怖

4月25日(金)  ペルーにおける日系移民の歴史は、ブラジルに先立つこと九年前の一八九九年、第一回移民船「佐倉丸」に乗り込んだ七百九十人によって始まっている。  初期ペルー移民の多くが風土病に倒れ、また異なった環境で悲惨な耕地生活を送ったことは『在ペルー邦人七十五年の歴史』(ペルー新報社)などに詳しい。  様々な迫害や差別を乗り ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(2)=「フジモリ時代が懐かしい」=意外に多い支持派庶民

4月24日(木)  リマのホルヘ・チャヴェス空港に近づいた飛行機の安全ベルトのランプが点滅するころ、人口八百万の都市は機内客の眼下にその姿を見せる。夜景の美しさと昼の荒涼たる風景はあまりに対照的だ。  色彩に欠けた街を見下ろすようにそびえる岩山、サンクリストバルの丘は標高四百五十メートル。電波塔があるため、日系移民からは電信山と ...

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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(1)=血と地の宿命の中で=懊悩する日系社会

4月23日(水)  南米で初めて日本からの移民政策がとられた国、ペルー。日本移民の歴史が始まって九一年目の一九九〇年六月、日系二世の大統領、アルベルト・フジモリが誕生した。この未曾有のニュースに世界中が注目し、日本はフジモリ現象といわれるほどの熱狂振りを見せた。しかし、十年後の〇〇年に大統領の日本逃亡という誰もが予想しなかった最 ...

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