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ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(4)=怖れとまどう日系社会=大統領当選の不安な前夜

4月26日(土)

 九〇年七月二十八日、日系人として初めての大統領、アルベルト・フジモリがペルーに誕生した。
 この未曾有の出来事に、新大統領の両親の母国である日本はフジモリフィーバーともいえる社会現象まで引き起こした。
 しかし、地元日系社会は冷静な表情を繕いつつ、水面下では底知れぬ不安と過去の亡霊に悩まされていた。 
 丸井ヘラルド氏は、大統領選の出馬が噂されていた時期のフジモリと電話で話している。その際に噂の真偽を確かめると共に「大統領選には出ないよう」といった忠告を行った。
 日系人協会では、顧問会や日系人団体との懇談を開き、ある幹部たちは大統領選出馬後のフジモリに「出馬には賛同できない」といった内容の申し入れまでしている。
 日系人が反対する理由は、過去の暗い歴史のみによるものではなかった。
 年率七六五〇パーセントにも及ぶハイパーインフレ、「まるで内戦状態だった」と形容されるほどのテロ組織の暗躍などは、フジモリ自身が話したようにまさに「デサストレ(災厄)」であった。
国立ラ・モリーナ農科大学の学長であったフジモリは、以前に国営テレビ「チャンネル7」の政治討論番組『コンセルタンド(調和)』で司会者を務めた経験から、一般に知られた存在ではあったものの、政治的手腕などは未知数だった。
 政治基盤も資金も乏しい『カンビオ・ノヴェンタ(改革90)』という自らが立ちあげた政党から出馬したフジモリは、ある意味では泡沫候補であった。
 日系人として初めて憲法制定議会議員を経験した川下マヌエル氏(二世)はフジモリが決戦投票に勝ち進んだ後の朝日新聞の取材で「同じ血が流れる日系人が大統領を目指すのは喜ばしいが、現在のペルーは最悪。明確な政策プログラムや、政権基盤がなければ、だれがやっても改革は困難だろう」と喝破している。
ペルー唯一の邦字新聞『ペルー新報』の報道姿勢もまた、日系社会の不安を浮き彫りにしていた。
 日本語版の紙上にフジモリの名前が載ったのは当選が決まった時が最初で、それまでは名前さえ載ることもなかった。
 スペイン語版では、ある程度取り上げてはいたが、独自の取材によるものはなかった。唯一、コラム欄でフジモリ関連の話題について書いていた比嘉リカルド氏(元スペイン語版編集長)は、行く先々で日系人から、様々な〝忠告〟や〝批判〟を受けたという。 「何故、書いちゃいけないんだ。この新聞は日系のための新聞だ。それは政治を除く話じゃない」 
 十年以上闘牛士をした経歴を持つ比嘉氏は、反骨精神の持ち主だ。役員会議で書かないように指示されたが、自身の姿勢を貫き、署名を入れることのみを受け入れている。 
電話での抗議も多かった。「ある時は脅迫にちかいものもあった」と証言する比嘉氏は、当時を振り返り「暴動なんて半世紀も前の出来事だよ。いつまで日系人は脅えながら暮らして行かなければならないんだ」と語気を強める。
 しかし、第一次投票後、不穏な空気が街に充満していたのは事実だ。
 「レストランに入っても、誰も注文を取りに来ず、客たちは無言でテーブルを叩き始めた」、「街で罵詈雑言を浴びせかけられた」といった嫌がらせを多くの日系人が体験している。
 対立候補だったバルガス・リョサ陣営の人種的偏見に基づいたフジモリに対するマスコミ攻撃も日系人の身を固くさせた。
 しかし、当選後、多くの日系人はフジモリ支援に回っている。何故かー。
 日系人協会の元会長、具志堅アルフォンソ氏はあるインタビューで語っている。「日系社会は失敗した時の反動を恐れて公にはフジモリを支援しなかった。しかし大統領になってしまった今、勤勉、真面目などといった日系人のイメージを維持するため支援するほかない」(写真=比嘉リカルド・ペルー新報スペイン語版編集長)
(堀江剛史記者)

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■ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(4)=怖れとまどう日系社会=大統領当選の不安な前夜

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■ペルーからの報告=フジモリ 待望論はあるか(終)=不可能に近い復帰だが=なんでも起こり得る国

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