移民のふるさと巡り=3千キロの旅
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移民のふるさと巡り=3千キロの旅移=終=懐かしのノロエステ=リンスはいま出湯の里
10月16日(木) 十月一日午前二時にホテルに入った一行は、最後の二日間をリンスの温泉地で過ごすことになった。 リンスはサンパウロから四百四十五キロ。日本人が考える温泉とは異なっているが、これがブ
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移民のふるさと巡り=3千キロの旅移=6=養鶏、柑橘を組合わせーバルゼア〝欠かせない〟移住地に
10月15日(水) カンポ・グランデの朝は爽快。多くの団員が一度にカフェ・ダ・マニャン(朝食)に集まるため、どこのホテルでも少し混雑するが、早く終わった人は付近を散策する。 バルゼア・アレグレ移住
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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=5=鉄道工事の沖縄県人入植―カンポ・グランデ沖縄ソバが定着
10月14日(火) ボニートから二百七十七キロ、出発が少し遅れたため、カンポ・グランデに着くと、そのままカンポ・グランデ日伯文化体育協会会館の歓迎夕食会に向かう。三台のバスから降りて、会場に入る。
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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=4=ウエット・スーツ着て〝変身〟―ボニート、大自然楽しむ
10月11日(土) サンパウロから千二百キロ、パンタナルというとマット・グロッソ州のクイアバからポコネ、ポルト・ジョフレにかけてのトランス・パンタネイラやバロンデ・メルガッソのワニ、ツゥユユーが群れ
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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=3=こども劇で移住地の歴史紹介―共栄、穀物を不耕起栽培
10月10日(金) 昨夜来の雨も止んで、朝食を済ませた団員たちは、三々五々ホテルの近くを散策。緑も多く都会に見られる喧騒もない。町の郊外には穀物を収納するカントリーエレベーターの高い塔が方々に建って
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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=2=いま大豆の一大生産地―ドゥラードスでミサを
10月9日(木) ペドロ・ファン・カバレェーロ市のアマンバイ日本人会館を出て、国境をまたぎドゥラードスへの道を引き返す。この辺りでもセンテーラ(土地なし農民)の旗印と、バラックともいえない掘っ建て小
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移民のふるさと巡り=3千キロの旅=1=パラグアイ唯一―契約雇用移民地―アマンバイ、47年の歴史
10月8日(水) 今回で十八回目を迎えた県連(中沢宏一会長)主催「移民のふるさと巡り」の一行百十九人は、ブラジルとパラグアイの国境、アマンバイ移住地、南マットグロッソ州、そしてサンパウロ州のリンスを