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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩

 著書『ブラジル日系社会 百年の水流』(改訂版も)で有名な外山脩氏がこの文章を書いた経緯は、本紙6面に2月26日から4回にわたって連載された「移民百年史出版プロジェクト 唖然、無責任極まる執行部」に書かれた通り。今回はそれを掲載することで、『百年史』に値する内容かどうか、実際に読者に評価を委ねようというもの。「日伯のナショナリズム」と「勝ち負け騒動」の深い関係を、徹底した取材に裏打ちされた、歴史や社会を見通す視野から論じている。(編集部)

第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(12)

ニッケイ新聞 2013年5月29日  愕然(がくぜん)としたのが邦人社会である。当時の邦人は、ほとんどが農業に従事していた。14歳以上になれば、農家では欠かせぬ労働力であり、学校に通わせる余裕などなかった。  邦人社会では、種々、協議、日本学校の指導機関であった文教普及会の事務長を更迭、後任に(以前、日伯新聞の編集長であった)野 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(11)

ニッケイ新聞 2013年5月28日  追討ち  排日法成立から3年後の1937年、邦人社会に追討ちがかかった。  独裁権を握った大統領ゼッツリオ・バルガスが、ナショナリズム色濃厚な新政策を打ち出し、それが邦人社会を直撃したのである。  バルガスが狙っていたのは、国家の再構築であった。  実は、それまでのブラジルでは、1889年革 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(10)=米英も加担した排日法

ニッケイ新聞 2013年5月25日  しかし、以上のことだけでは、説明のつかぬ点があった。法案成立の折の大き過ぎた票差である。  これは、実は、背後に巨大な勢力の工作があったためである。  その点に関して、日伯新聞は当初から某国の名を明示、警告していたが、ブラジル時報も後に、その工作の内容を詳しく記している。  古谷、宮坂らも、 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(9)

ニッケイ新聞 2013年5月24日  ミゲール・コウトという男  では、何故、排日法は成立してしまったのだろうか?  この法案提出の中心人物ミゲール・コウトは、医学界の大物であったが、実はアルベルト・トーレスやフィデリス・レイスの同志でもあった。つまり熱烈なナショナリストであった。彼はレイス法案が葬られたときは激怒した。が、諦め ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(8)

ニッケイ新聞 2013年5月23日  しかし、ミゲール・コウトたちは──執拗なことに──諦めなかった。新修正案を引っ込めたものの、代りに、またも、新々修正案を提出したのである。  内容は、移民の受入れ条項を「過去50年間に入国・定着せる各国移民の総数の2%を許容する」と変えてあった。人種差別という批判をかわすため「黒人」「アジア ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(7)

ニッケイ新聞 2013年5月22日  擁護論者とは、下院議員のオリヴェイラ・ボテーリョ、リラ・カストロ、弁護士のネストル・アスコリなどである。  レイス法案提出後の10年間、目立った排日的な動きはなかった。  が、邦人社会が移民25周年を祝っていた1933年の末、それが、突如、再現した。  リオで開催されていた新憲法制定議会に、 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(6)

ニッケイ新聞 2013年5月21日  「無我夢中になって読んだ」という。自分が小説の中に居るような気がした。「身を鴻毛(こうもう)の軽(かろ)きに置き、君国に報じる」という言葉も覚えた。  日高の祖父は、二人とも西南戦争に従軍した。母の兄弟3人は日露戦争に出征、一人は戦死、一人は片足を失った。自分も兵隊さんになって戦地に行きたく ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(5)

ニッケイ新聞 2013年5月18日  山下は同級生と一緒に写っている当時の写真を見せてくれた。見ると、皆、背筋を伸ばし、キリッとした表情をしている。筆者の記憶の中にある敗戦後の日本の同年輩の子供に比較すると、数段上という感じだ。その印象を口にすると、 「そりゃー、あの頃は、日本軍が大陸で勝った勝ったで、勢いが良かったですからネー ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(4)

ニッケイ新聞 2013年5月17日  一方で、日本学校にもブラジル学校にも行けぬ子供もいた。そうした場合、親や家族が、日本語の読み書きを教えるのが普通であった。(中には、子供の出生を届け出ず、日本語も教えぬ親もいた。が、これは例外ケースであった)  日本学校には、1927(昭2)年頃から、サンパウロ日本総領事館が梃入(てこい)れ ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(3)

ニッケイ新聞 2013年5月16日  熱風は、東京から送信されるニュースを掲載する邦字新聞によって──奥地も含めて──邦人社会の隅々に伝えられた。  本や雑誌も、日本から大量に輸入された。その中には子供向けのものもあった。軍国調華やかな記事や挿絵が満載されていた。  1937、8年には、日本放送協会の南米向け短波放送が始まった。 ...

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