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ブラジル日本都道府県人会連合会 関連記事

「海外日系人訪日団」募る=窓口県連 締め切り5月10日

4月25日(金)  ブラジル日本都道府県人会連合会(中沢宏一会長)は、六月二十日出発の「第三十六次海外日系人訪日団」を募集している。 募集の締め切りは五月十日。毎年九月に行われている同訪日団だが、今年は六月に行われる。資格は、次の5項。1.海外に移住して概ね五十年以上帰国したことがない者。2.日本に一度も帰国したことがない者。3 ...

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県連の新年度予算7万=総会で事業計画討議=赤字整理に全力投入

4月1日(火)  ブラジル日本都道府県人会連合会(中沢宏一会長)の定期総会が二十八日、ヴィラ・マリアーナ区の三重県人会館で開かれた。二〇〇二年度の収支決算が報告された後、新年度の事業計画や七万レアル規模の予算案が承認された。  冒頭、中沢会長は「昨年のフェスティバルでは大赤字を作ったが、執行部が一生懸命金集めをして借金を整理した ...

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県連ふるさと巡り 参加者を募集=セラードの各日会と交流

2月19日(水)  ブラジル日本都道府県人会連合会(中沢宏一会長)は、今年四月に予定されている「移民のふるさと巡り」の参加者を募っている。十七回目となる今回の行程では、ブラジル農業に欠かせないセラード地帯を歩く。また、恒例となった各地の日本人会も訪問、交流を深める。同月一日から七日に掛けての日程は以下の通り。  ▽一日午後九時、 ...

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フェスチバル・ジャポン 吉加江体制下でスタート=実行委員長が交代=昨年の赤字穴埋めを=「県連から日系社会事業へ」

2月4日(火)  ブラジル日本都道府県人会連合会(中沢宏一会長)は一月三十一日、ヴィラ・マリアナ区の三重県人会館で代表者会議を開いた。昨年の赤字を補てんするためにも成功が義務づけられるフェスチバル・ジャポンが主な議題で、中沢会長が計画の進捗状況を説明したほか、新しい実行委員長に吉加江ネルソン副会長が選出された。事業計画の策定やス ...

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県連笑顔で新年会開催=歴代会長らに感謝状―「久しぶり」と旧友温める

1月14日(火) ブラジル日本都道府県人会連合会(中沢宏一会長)主催の新年会が、十一日に熊本県人会会館で開催された。県連が歴代会長、県人会の現・元会長、役員を招いて新年会を開いたのは初めて。歴代会長・副会長などの功労者には、これも県連としては初めての「感謝状」が贈呈された。参加者は約六十人。中沢会長が期待していた人数の半分ほどで ...

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県連が新年祝賀会=各県人会の新旧会長集めて

1月9日(木)  ブラジル日本都道府県人会連合会(中沢宏一会長)では十一日(土)に熊本県人会館で、各県人会の歴代会長と現会長との合同新年祝賀会を開催する。開会は午前十一時で、正午からはシュラスコ、日本料理、ビール、ジュース類が出され、午後二時からは討論会やカラオケの時間となる。会費は二十レアル。  会場となる熊本県人会館の住所は ...

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6千個のもちつき=大みそかにぎわう東洋人街

1月7日(火)  もちつき祭りが三十一日午前九時半から、サンパウロ市リベルダーデ広場で開かれた。広場の周りには、『祭』と書かれた赤、白、黄、緑ののぼりが春風にはためき、コバルト色に晴れ上がった空にまぶしいほどだ。  池崎会長たちがもちをついたあと、六千個のもちが配られた。リベルダーデ広場に長い列ができ、紅白のもちが入った袋を持っ ...

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今年は戦後移住50周年=7つの行事を用意=実現へ向け実行委が大奮闘=100年祭へのステップに

2003年1月1日(水)  今年、二〇〇三年は戦後移住が始まって五十年目に当たる。戦後移住五十周年記念祭実行委員会(中沢宏一委員長)は昨年から会合を開くなど準備を重ね、様々な記念事業をはじめとするイベントを計画している。「五年後に控えた日本移民百周年への大きなステップにしたい」と語る中沢委員長。関係者は五十年祭を成功させるため、 ...

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3世を信じ任せるー網野前県連会長が提言

 ブラジル日本都道府県人会連合会の網野弥太郎前会長(六三)は一九九八年、初めてふるさと祭りを開いて成功させた。以後、祭りは年々盛んになっている。若い日系二、三世を巻き込んで実行に移したことが成功の原因だ。十万、二十万人単位のブラジル人がサンパウロ市イビラプエラ公園の会場に足を運んだ。大盛況裏に終わった二十世紀末最後のこの企画は、 ...

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20世紀-コロニアの20人

 日本人の海外発展史にあって、二十世紀はブラジル移住の世紀でもあった。移民前史からのほぼ百年をかけて二十五万人余が移住。扶植された子孫は百四十万人におよび、海外最大の日系集団地を築き上げた。この間、コロニアは各分野に多くのパイオニア、指導者を得て、裾野の広い活動を営んでくることができた。そこで今世紀最後の年にちなんで対伯移民史を ...

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