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ボリビア人の憧れ、ブラジル=一旗揚げようと潜入=不法滞在特赦で密入国者急増=借金返済のため奴隷労働

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商議所 業種別部会長懇談会――――最賃引き上げ効果を期待=家電・自動車は好調続く=連載(下)

2006年2月11日(土) 【繊維部会】冷夏と暖冬で衣料品販売の落ち込んだ繊維業界。今井部会長は「くもりのち小雨でした」と〇五年を振り返る。クリスマス商戦も不振。小売業者からは手形の引き伸ばしも出ているという。一方レアル高で輸入素材のコストは下がった。  〇六年はW杯と選挙の年。最低賃金引き上げの効果も期待される。今年の見通しは ...

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熱戦繰り広げた=全パラグァイ青年野球=移住70周年記念行事の幕開け飾る

2006年2月10日(金)  四日と五日、イグアスー球場で第十九回全国パラグァイ青年野球大会が開催された。今回は日本人のパラグァイ移住七十周年とイグアスー移住地入植四十五周年、二つの記念を祝う大会となった。主催は全パラグァイ少年野球連盟(工藤好雄会長)で、地元イグアスーの日本人会(栄田祐司会長)が後援した。  大会長・工藤好雄( ...

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新潟県人会=北パラナ支部が新年会=市村ウライ市長が牛1頭

2006年2月10日(金)  ブラジル新潟県人会(南雲良治会長)の北パラナ支部の新年会が一月二十九日、今年もパラグアイにある市村之(すすむ、87)=帰化人=さんの大農場で行われた。サンパウロ市からも南雲会長はじめ三人が招待され、ロンドリーナから市村さんがチャーターしたバス二台で北パラナ支部員ととも行き、提供された牛一頭に舌鼓を打 ...

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大豆の里、イグアスー移住地の試み=ブラジルの新品種栽培=生育状況に関心高まる=より安全な営農形態模索

2006年2月4日(土)  非遺伝子組み換えでタンパク質含有量が高く、人体にやさしい大豆の一種として知られている『オーロラ』の代表的な栽培地であるパラグァイのイグアスー移住地で、今期(二〇〇五―〇六農年)もブラジルで開発された新しい品種が導入された。  中でも注目を集めているのが、BRS244とCD212の二種。BRS244はE ...

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健康の汗を流した=全パラグァイ=パークゴルフ大会=イグアスー移住地入植45周年を祝う

2006年2月1日(水)  第七回パラグァイ全国パークゴルフ大会が、一月二十二日、イグアスー移住地で開催された。今年はイグアスー・パークゴルフ愛好会(岡村孝会長・高知県)が主催し、日本人会と農業協同組合が後援した。移住地と関係のある企業八社が協賛。移住地入植四十五周年の記念事業であった。各地から百余名が参加して日頃の練習の成果を ...

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「感動」多かった実習=北海道専門高校生=ブラジルを体験

2006年1月28日(土)  平成十七年度専門高校生海外実習派遣団(柿崎賢一団長=北海道岩見沢農業高等学校教諭)は八日、サンパウロに到着し、約十八日間の実習を行った。各高等学校の農業、商業、工業学科生徒十人が揃いのユニフォームで来社。それぞれの体験を語った。  リーダーを務めた澤村友悌さん(北海道函館工業高等学校)は、ポンペイア ...

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イグアスー移住地=新成人に苗木と錦鯉贈る=14人が大人社会に仲間入り=「花」も「実」もある人生を=「錦」あるこども育てよ

2006年1月20日(金)  パラグァイのイグアスー移住地で十四日、成人式が行われ、男性六人と女性八人、合わせて十四人の新成人が誕生、両親や先輩たちから温かい祝福を受けた。新成人たちには一対の苗木と一対の錦鯉の稚魚が贈られた。苗木はパクリ(Pakuri,学名Rheedia brasilensis)とペテレヴ(Peterevy,学 ...

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大耳小耳

2006年1月4日(水)  援協は事業評価の一環で、〇一年~〇五年までに受けた寄付の件数や金額を調べている。統計をとるのは初めて。五年間の推移をみることで、「コロニアの求心力なども推察できるのでは」と関係者。〇四年度は約四十六万レアル(五百六十八件)だったそう。施設別では、あけぼのホームが約四万五千レアル(六十七件)でトップ。サ ...

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イグアスー移住地=「高卒」もいる日語学校=一貫教育定着、その証の卒業式=2つの民族の〃つなぎ役〃=非日系人コースもしっかり

2005年12月24日(土)  ブラジルとの国境から四十一キロ地点にあるイグアスー(Yguazu)移住地で、十八日、日本語学校(堤和子校長・青森県出身・東京農大卒)の卒業式が行われ、小学生十一名、中学生十五名、高校生五名が卒業した。  同地に移住が始まったのは一九六一年八月。その二年後の六三年九月に日本語学校が開校した。当時の子 ...

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