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カンポ・グランデ 関連記事

東西南北

2006年3月23日(木)  司法委員会(CNJ)は二十一日、州裁判所の判事と職員の月給上限を二万二一〇〇レアルに決定した。連邦裁判所の上限は二万四五〇〇レアル。減給対象者は全国で最高一万三千人に達する見込み。検事の給与にもこの上限が適用される可能性がある。      ◎  中央銀行は二十一日、二月の経常収支が七億二五〇〇万ドル ...

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若い舞踊家育てたい=琉球舞踊協会が芸能祭

2006年3月21日(火)  ブラジル琉球舞踊協会(城間和枝会長)は、二十六日正午から、沖縄県人会サロンで第四回芸能祭(宮城調智実行委員長)を催す。すでに発送ずみの案内状には午後一時開演としてあるが、一時間早めて幕を開けるという。  サンパウロはじめ、南マ州カンポ・グランデ、サンジョゼ・ド・リオ・プレト、アララクアラなど全伯の流 ...

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早くも100年祭記念事業=日伯フッチサル戦を=南マ州カンポ・グランデ日系が招致=市も挙げて賛意、応援

2006年3月18日(土)  【南マット・グロッソ州カンポ・グランデ市】当地で二十九日、フッチサルの日本代表×ブラジル代表戦が行われる。日本移民百年祭記念事業の一環である。当地で、日伯両国代表によるスポーツの親善試合が行われるのは画期的なことで、市、州当局も万全の支援態勢をとっている。このイベントを実現させる原動力となったのが、 ...

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日伯交流協会=派遣事業いったん幕ひく=748人が両国のかけ橋に=軸足を伯側に来年復活か

 若者交流を進めて二十五年――いったんその活動に幕を引くことになった日本ブラジル交流協会(日本側=藤村修理事長)。約七百四十八人を日本から送り出し、無事に研修させてきた二十五周年を祝うとともに、受け入れ先や協力者に感謝するための集いが十日夜、ニッケイパラセ・ホテルで開催され、約百八十人が出席した。ブラジル側からは来年再開する見通 ...

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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(9)=トレス・ラゴアス=大阪市より大きい牧場?!=オンサと〃牛〃種のるつぼ

2006年3月2日(木)  最終日の三日目、午前中はジュピア・ダムの見学だ。堤防の長さは約五千五百メートルもあり、サンパウロ州と南マット・グロッソ州をつなぐ橋の役割も果たす。  ダム見学後、いったんホテルで休憩し、午後一時過ぎにトレス・ラゴアス日伯協会(大坪シュンジ会長)の会館へ到着。サンパウロ市から西北西に約六百五十キロだから ...

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東西南北

2006年2月24日(金)  連警は自由党(PL)元財務担当のジャシント・ラマス氏を資金洗浄の容疑で書類送検した。同氏は昨年議員辞職したネット元党首の指示に基づき、PTの裏帳簿を運用していたヴァレーリオ氏の口座から一六五万レアルを引き出した疑い。      ◎  歯科医に朝早く予約を入れ、診療所に向かう途中で誘拐した犯人の夫婦ら ...

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農拓協=近藤会長続投決まるー地方組合との関係強化へ

2006年2月24日(金)  ブラジル農業拓殖協同組合中央会(近藤四郎会長)は定期総会を二十二日、サンパウロ市ヴィラ・クレメンチーノ区の力行会会館で開いた。理事ら十四人、JICAサンパウロ支所の村上ヴィセンチ日系社会担当が出席した。  〇五年度の事業、会計報告、〇六年度の事業、予算計画が討議され、新執行部の改選も行われ、近藤会長 ...

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合併にまた1歩前進=沖縄系2団体=県人会も全会一致で承認=臨時総会で文書合意へ=「機運が熟した」=固い握手交わす

2006年2月22日(水)  沖縄系二団体、合併へ――。ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)の第六十九回定期総会が十九日に開かれた。この日は長年話し合いを続けてきたブラジル沖縄文化センター(ジアデマ市)との合併を審議。三時間におよぶ議論を経て、全会一致で承認された。今後は両団体による委員会を組織して、合併の枠組みを検討していくこと ...

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ファベーラ住民は650万人=10年間で4割増=半数がサンパウロ州とリオ州に居住=ベレンでは3人に1人が住民

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高橋麟太郎博物館=アラサツーバの新名所=インディオ装飾具など展示=「歴史に残る人です」

2006年2月11日(土)  インディオの土器や珍しい岩石を集めた高橋麟太郎博物館が昨年十一月、故人にゆかりの深いサンパウロ州アラサツーバ市に開館し、県連の移民のふるさと巡り一行百二十三人が五日に訪れた。アラサツーバ日伯文化協会会長も務め、現会館を建設した立役者。後にノロエステ連合日伯文化協会の会長も歴任し、一九六八年にサンパウ ...

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