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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか

 2008年のリーマンショックから4年以上が過ぎた。「派遣切り」などで多くのデカセギが職を失い、約12万人が日本をあとにしたとはいえ、今も19万人余が暮らす。彼らはなぜ日本に残ったのか、日本での未来にどんな展望を持っているのか。来伯する在日伯人コミュニティ研究者や関係者は「定住化傾向」と一様に語るが、どんな心理作用が働いているのか――。経済不況、大地震に伴う津波や原発事故などの苦難に相次いで見舞われた日本に、なぜ残ることを決めたのか。年初に1カ月間帰国した折に、3県(三重、岐阜、愛知)の集住地を訪ね、実際に話を聞いてみた。(全9回、田中詩穂記者)

デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=最終回=日本寄りのブラジル人=浦島太郎現象で定住?

ニッケイ新聞 2013年4月23日  岐阜県美濃加茂の多文化交流センター近くにあるブラジル食料品店「クリチバ・ショップ」へ立ち寄った時、そこで働く日系人女性に話しかけると「ソニー工場閉鎖の後はお客さん減ったわね」と予想通りの回答を口にした。「でも美濃加茂は落ち着く町。サンパウロは住むとこじゃないでしょ。ブラジルもいいところだけど ...

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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第8回=愛知編=子供たちに学びの場をー=「日本の伯人に貢献したい」

ニッケイ新聞 2013年4月20日  田中マルリさんの恋人ドウグラス・ナシメントさんは聖市出身、16歳で単身訪日した。大阪を中心に関西の建設現場で働いたが、訪日一年後に父親が亡くなり、それを契機に日本への定住を選ぶことになった。  30歳近くで愛知県に移って篠田さんと知り合い、ギターを嗜み子供好きだったことから、同校では音楽教師 ...

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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第7回=愛知編=再出発後も道のり厳しく=行き場を失った子供達は

ニッケイ新聞 2013年4月19日  2月5日午後2時半頃、名古屋駅を出て30分ほど市バスに揺られて降りると、川沿いに立つ真っ青に壁が塗られた建物が見えてきた。名古屋市にあるブラジル人学校「コレジオ・ブラジル・ジャパン」。国外在住伯人を代表する機関「在外ブラジル人代表者協議会」の元評議員会長、篠田カルロスさん(二世)の経営する学 ...

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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第6回=岐阜編=「節度ある生活学んだ」=地域に根を張りたい伯人

ニッケイ新聞 2013年4月18日  なぜ日本語を使わないのかと伊禮門さんに問うと、「言っていることはわかる。でも、自分からは話さない。間違うのが恥ずかしいんだ」と言い訳し、取材中も一貫して早口のポ語で通した。  しゃべらなくなった直接のキッカケは、訪日直後に勤めた工場で日本人従業員から「(日本語が)下手くそ」とからかわれて嫌気 ...

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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=第5回=岐阜編=「大事なことは日本で学んだ」=子供のため帰国は選ばず

ニッケイ新聞 2013年4月17日  その後、後藤佳美さんは種明かしのようにこう言った。「ソニー問題で大手メディアが取材に来たけど、最初からストーリーを作って取材していたという印象がある。事実とは違うように書かれていたのがね…」。  町全体が大変なことになっている、路頭に迷う外国人…。センセーショナルな見出しを付ければ、それだけ ...

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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=岐阜編=最大手雇用企業が閉鎖—=偏ったマスコミ報道?

ニッケイ新聞 2013年4月16日  大手電機メーカー、ソニーの子会社でエレクトロニクス商品の製造・修理などを手掛けるソニーイーエムシーエス株式会社(東京)の美濃加茂市の工場「美濃加茂サイト」が3月末で閉鎖すると昨年10月に発表され、大手マスコミの「揺れる美濃加茂」報道が飛び交った。  昨年10月末時点で、全就労者2千人強のうち ...

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第3回=三重編=美濃加茂編=ソニー閉問題に揺れた街=ブラジル友の会は今

ニッケイ新聞 2013年4月13日 三重編  愛伝舎のヘルパー講座を受講する林田マリナさんは、女手一人で子供を育てるため、さまざまな仕事を経験した。化粧品アドバイザーの資格も取った。リーマンショックでは失業は免れ、工場の派遣契約満了後に講座に通い始めた。「人と話をするのが好きで、お年寄りは大事だと思う。だから福祉や介護の仕事をし ...

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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=三重編=否定しない帰伯の可能性=「娘を大学に通わせたい」

ニッケイ新聞 2013年4月12日  聖市生まれの阿部チエミさん(23、三世)は二世の父、非日系の母と一歳半で訪日した。両親は「2年」の予定をしていたが、結果的に「20年」になった。まさにデカセギ版準二世、もしくは子供移民だ。  鈴鹿市に住んで4年で、家族で経営する保育園「Carinho da mae」を手伝う。南米国籍の子供を ...

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デカセギ三都物語=なぜ日本に残ったのか=〜三重編=介護ヘルパー目指して勉強=鈴鹿市のNPO愛伝舎で

ニッケイ新聞 2013年4月11日  2008年のリーマンショックから4年以上が過ぎた。「派遣切り」などで多くのデカセギが職を失い、約12万人が日本をあとにしたとはいえ、今も19万人余が暮らす。彼らはなぜ日本に残ったのか、日本での未来にどんな展望を持っているのか。来伯する在日伯人コミュニティ研究者や関係者は「定住化傾向」と一様に ...

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