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若林輝男会長が死去=カクルト設立し社会貢献も

2月4日(火)

 ブラジルヤクルト商工の若林輝男会長が二日午後六時五十分、腎不全のためサンパウロ市内のサンタクルス病院で死去。八十四歳。足の手術のため入院、手術後に糖尿病を併発した。告別式が三日午後二時に同病院で行われ同三時に出棺、市内のヴィラ・アルピーナ墓地に埋葬された。
 若林会長は一九一八年八月、札幌市生まれ。六五年渡伯。六六年ブラジルヤクルト商工を設立、社長に就任。六八年ブラジル経済派遣団の日本訪問の案内役を務める。リンゴ栽培に尽力し成功したことは周知の事。八七年から九一年まで、サンパウロ大学医学部とヤクルトが共催で、世界の免疫学博士七十人を招へいしシンポジウムを開く。この間、ブラジル人二人をノーベル賞を受賞した利根川進博士の下に留学させる。
 ブラジル錦鯉愛好会、ブラジル桜普及会の会長、パナマ共和国サンパウロ領事などを務めた。
 サンパウロ市から七二年にアンシェッタ章、日本通産省から八二年に国際協力者賞、ブラジル政府から九三年にリオ・ブランコ章を受ける。サンパウロ市、サン・ジョアキン市(SC州)、オザスコ市から名誉市民の称号を認められる。八九年には労働功労章を受章している。

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