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平成の自由渡航者たち=運命の出会いに翻ろうされて(6)=身重で単身渡伯し出産=一見型破り、でも自然体

9月11日(木)

 「思い立ってブラジルに来ました」――。村本清美さん(四五、愛知県出身)はくったくがない。日本の大学を卒業、しばらく都市計画関連の仕事に就いた後、一九八六年から九一年まで、サンパウロ大学大学院で建築都市計画を研究した経歴を持つ。九年前に再び来伯、現在、日本政府の外郭団体に勤務しながら、リベルダーデ区の自宅で一人娘、リサさん(八)と暮らしている。
 清美さんはブラジル留学後、東京の都市計画研究所で働いていた時にスペイン人男性と知り合った。九四年初め、男性との間に子どもができていることが分かった。清美さんは、「前に来た時、ブラジルは住みやすかったし、気が楽だった」と語る。
 身重の体で清美さんは一人、ブラジルに降り立った。以来、スペイン人男性とは連絡をとっていない。
 同年十月、元気な女の子が産声をあげた。リサさんだ。観光ビザで来伯した清美さんはリサさんの出生届を出し、その足で、自らの永住権申請を行なった。「USP時代に学生ビザの更新で苦労した」と話す清美さんだが、今回は申請から一年三ヵ月、比較的穏やかに永住権を手にすることができた。
 清美さんは来伯時から半年間、子育てやビザ手続きのため思い切り働けなかったが、徐々に日本語教師や翻訳の仕事が舞い込んできた。清美さんは知人に、お手伝いを紹介してもらった。
 お手伝いはこれまでに何回か入れ替わったが、清美さんは常に、子どもをお手伝いに一任する方針を変えていない。昨年一月から始めた団体職員の仕事は、残業で午後九時に帰宅することもあれば、出張で数日、家をあけることもある。「母親は夜、いないものだと思っているみたい」という清美さんは、少し淋しそうだ。
 娘のリサさんは昼間、日系人が経営する学校に通っている。合気道や珠算などの授業もあり、週一回は日本料理の給食が出るという。「完全なブラジル人ではなく、日本的なものを半分くらいは持ってもらいたい」。清美さんは、家ではなるべく日本語を使うよう努めている。
 日系社会について清美さんは、「安心できる。自分を主張しなくても、お互い分かり合える感じ」と印象を語る。しかし、「日系、混血はずっといるだろうけど、日系人の『考え方』が変わっていくと思う」とも。「娘をみているとよく分かる。彼女は、完全なブラジル人だから」。
 清美さんに帰国の意志はない。父親は二十五年前に亡くなった。愛知県在住の母、富美子さん(六九)は九年前、清美さんが二度目の渡伯を希望していることを知って大反対した。
 「でも、孫の顔を見て、『まあ、いいか』という気持ちになったみたい」と微笑む清美さん。これまでに幾度か日本へ帰省し、四年前、富美子さんもブラジルを訪れた。清美さんは月一回、母親に電話している。リサさんもおばあちゃんと話すために、いろいろな日本語を尋ねてくる。
 話を聞いていると、「女手一つで一人娘を養い――」という悲壮感は伝わってこない。「自分のことを仕事人間とは思わないけど、いろんなことをするのが好き」。週末は子どもと過ごすほか、アクリマソン公園を走ったり、友人と音楽ショーに行ったり、充実した日々を送っている様子。一見、型破りな人生を歩んでいるようだが、清美さんはそれを自然体でこなす現代女性だと分かった。
(門脇さおり記者)

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