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 「移民祭・慰霊祭」の話である。まず、第一回移民船笠戸丸着港日(一九〇八年六月十八日)は、いつごろから「記念日」として在伯日系人の念頭にあったのだろうか▼さきごろ、ロンドリーナ在住の沼田信一さんは、ロンドリーナの場合、おそらく移民二十五周年に当たる三三年だろう、と推察していた▼古い記録をみると、この年四月十一日、北パラナ各地の有志が移民の連絡機関の必要を言い出し、総集会を氏原彦馬氏宅で開催、日本人会館建設を決議した。土地代は氏原氏が提供、木材は土地会社の了解を得て、在住者総出で伐り出した。これをカンベ市の製材所に送ったところ、挽き賃は実費、さらに製材後の運搬もドイツ人の好意でガソリン代のみの実費、というふうに恵まれた、とある▼とんとんと建築は進み、「六月十八日」に落成式にこぎつけた。が、移民先亡者の慰霊はなかったという▼半田知雄氏の著書によれば、日本移民の慰霊祭は、やはり三三年、サンパウロ市の日本病院敷地で行われた二十五周年祭が嚆矢らしい。以降、戦後の三笠宮を迎えた移民五十周年まで、団体などに組織された慰霊祭はなかったようだ▼沼田さんは、戦前は生活に追われ、先亡者の慰霊にまでは気持が届かなかった、戦中は敵国人としての遠慮から催さなかったのだろうと言う。その後「移民祭・慰霊祭」がコロニアの行事として定着するのは、相当の時日を要したわけだ。沼田さんは未だやってところは「今から始めよう」とすすめる。(神)

05/7/6

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