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なんで私たちに…」絶叫 米倉さん一家殺害=容疑者はかつての隣人=葬儀で泣き崩れる知人ら

2005年9月15日(木)

 サンパウロ市東部で十日に起きた米倉さん一家殺害事件。逮捕された容疑者はかつての隣人だった。
 神奈川県で働いていた娘のファッチマさん(31)と、息子のウィリアム・ジュンさん(29)、アケミ・エリカさん(28)夫妻が六年ぶりに一時帰国した、その日に起こった悲劇だった。犠牲となった米倉貞(ただし)さん(68)、フタバさん(64)夫妻にとっては日本で生まれた孫との初めての対面だった。
 十二日に逮捕されたリカルド・フランシスコ・ドス・サントス容疑者(26)は、殺害されたニウトン・タカシさん(26)の子供の頃の友人だった。三年前に引っ越している。入院中のウィリアム・ジュンさんの証言によれば、貞さんも容疑者が誰か分かっていたようだ。監禁中、「リカルド、どうして私たちにこんなことをするんだ?」と問いかけたという。
 サンパウロ市カポン・レドンドのリカルド容疑者の家からは、フタバさんが描いた絵が発見された。
 もう一人の容疑者、セウゾ・アレンカール・ドス・サントス(33)は現在も逃亡を続けている。警察では、このほかにも二人が事件に関わっているものと見て捜査を進めている。
 一命をとりとめたウィリアムさんは警察の護衛の下でいまも入院している。サンパウロ市警殺人犯罪・人身保護担当課(DHPP)は十三日夜の会見でセウゾ容疑者の手配写真を公開した。
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 十三日午後、フタバさんの親族によりサンパウロ市内のノーバ・カショエイリーニャ墓地で、米倉さん一家の葬儀が執り行なわれた。親族、知人のほか、米倉さんの同船者など約七十人が参列した。コチア青年連絡協議会からは、永山八郎元会長が協議会を代表して出席した。
 ウィリアムさんの妻、エリカ・アケミさんの遺体は親族の住むパラナ州アシス・シャトーブリアンで埋葬され、この日は仏式による四人の葬儀が営まれた。
 寒風が吹きつける曇り空の下、葬儀は執り行なわれた。墓地内の礼拝堂前に貞さんと妻のフタバさん(64)、娘のファッチマ・サユリさん(31)、息子のニウトン・タカシさん(26)の四人の棺が並ぶ。参列者一人一人に線香が渡され、僧侶の読経が響く中、犠牲者に手を合わせた。焼香の後、関係者の手で棺が車に運ばれ、墓地へ向かった。
 サンパウロの町を見下ろす高台の墓地。車から降ろされた棺が一つ一つ、地中に埋葬される。その間、ただ泣きつづける若い女性の姿があった。参列者は再び焼香し、犠牲者の冥福を祈った。
 米倉貞さんは長野市の出身。コチア青年一次十回のさんとす丸で一九五七年九月十二日に渡伯した。
 葬儀に参列した神林義明さん(69)は同じコチア青年として、米倉さんと同じ船でブラジルに渡る以前からの交友だった。
 二人はともに長野県出身。千曲川をはさんだ長野市と須坂市で暮らしていた。渡伯する以前に福島県で行われた研修にも一緒に参加した。
 渡伯後、米倉さんはヴァルゼン・グランデ・パウリスタで農業に従事。独身の頃、一時はサンパウロ市近郊で農業を営む神林さんの家に滞在していたこともあるという。米倉さんはその後、日系進出企業で長年働き、六十歳代の前半で退職。以後は年金生活者として日を送っていた。
 ここ二年ほどは、県連主催の日本祭会場で会うくらいで、頻繁な交流ではなかったという。「おとなしい性格でした」。埋葬後、目を赤く腫らし、神林さんは友人の死を悼んだ。
 米倉さんと同船でこの日の葬儀に参列したマウア市在住の女性は、「いつもニコニコした人でね」と、その柔和な人柄を語り「そんな人がこんなことになるなんて」とやりきれない思いをにじませた。

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