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25年=交流協会生コロニアと共に=OB編1=連載(6)=研修時、未熟だった=島さん=再挑戦しようと渡伯

2006年2月28日(火)

 九〇年、玉井義臣会長、藤村修理事長は、故・相場真一元会長、篠原ベルナルド事務局長らと、故・野村丈吾元下院議員の案内で、コーロル大統領と面会。「ブラジル支部」認可の陳情を行い、快諾を得た。この頃から、ブラジル事務局もOB主体で運営していこう、という体制に変化していく。
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 「アマゾン地方の観光業で一番になりたい」。去年五月に、ATSツールの社長に就任した島準さん(37、第十期生=一九九〇年度、東京都出身)は現在、マナウスに在住。研修後、大学を卒業し、九四年に日伯長期派遣員としてブラジル事務局員となった。
 「研修は後悔ばっかり。当時は自分の殻を突き破れなかった」。研修先は、ATS。ポルトガル語学科の学生にも関わらず、日系社会に近いところにおり、愚痴ばかりこぼしていた。「環境に期待していた。環境が自分を変えてくれると思っていた。自分のことしか考えてなかった。いかに自分か未熟かを知った」。そう振り返る。ブラジルへ戻ってきた原動力は、この一年の「悔しさ」だと言う。
 ブラジルでの生活にもう一度チャレンジした。「今までは自己中(自己中心的)だったけど、事務局員としての三年間は、人のことばっかり考えていた。同じように後悔して欲しくないから、そういう想いで指導にあたった」。人のために一生懸命やってみる。初めて自分の殻を飛び出せた。
 その後は、三年間ベレンのATSに勤務。JICAベレン支所で技術協力班の連絡員としても働いた。
 「ブラジル人を使うのが難しい。でもほめるように工夫している」。現在の仕事の難しさを語る。経理は奥さん。十六期生として渡伯した同じ交流協会生だ。「今回、派遣事業中止って聞いたけど、一番残念なのは、後輩がなくなること。連鎖が途切れないようにしないといけない」。
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 サンパウロ在住のカメラマン、仁尾帯刀さん(35、第十六期生=一九九六年度、兵庫県出身)もブラジル事務局員を務めたうちの一人だ。JICA青年ボランティアで派遣された。十八期から二十期生の世話をした。
 「毎日楽しかった」。研修生時は、南米銀行サルバドール支店で研修をしつつ、「人」を撮り続けた。「研修自体は机も与えられない時があるほど、何もすることなかった。でも、研修が終わった時点で、ブラジルで何かできることがあるんじゃないのかって思った」。
 父が日本学生海外移住連盟で二年間ブラジルに滞在していたことから、よく話を聞かされていた。大学卒業後、すぐには渡伯せず、日本社会で働いてからブラジルに来た。
 今は、サンパウロの風景を中心にシャッターを切る。二十二期生の協会生と結婚。ブラジルに住み、十年になる。「ブラジルは居心地がいい」。そう呟きながら「このコンクリートっぽいのが好き」と、うっそうとビルが立ち並ぶサンパウロの町並みを眺めた。(つづく、南部サヤカ記者)

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