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広島デジタル博物館=サンパウロはアマゾン?=考えられないミス連発

2006年3月22日(水)

 広島市は博物館建設計画があった一九八〇年代に職員を派遣し、広島出身者から寄せられた約四千点以上の写真や農機具などを収集しており、全国でも有数の移民関係資料を所有する。
 しかし計画は頓挫。資料は同市北部の倉庫に死蔵されていたが、JICA横浜の海外移住資料館の「移住資料ネットワーク化プロジェクト」実施に伴い、所蔵資料のデジタル写真をもとにWEBサイト上で二月から公開を始めた。市民局文化スポーツ部が運営、JICAが技術協力している。
 同サイトは広島県人が多く移住した北米、ハワイ、ペルー、ブラジルの各欄に分かれている。
 ブラジルの欄は「移民募集・渡航から入植へ」「農業開拓」「日系人社会の形成」「移住地の生活」の四項目に区分。その内容を見ると、通常では考えにくい事実誤認やミスが散見される。
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◎「移民募集、渡航から入植へ」の項では、まず笠戸丸移民の数。七百八十一人を七百九十一人と誤記。
◎「玩具店」と銘打たれた写真。説明には「寄贈者の両親がサンパウロで開いていた店」とあるが、別の写真で店の前に馬車が止まっているものにも同様の説明を掲載。
◎「入植地」の資料として、萱葺き屋根の家の写真を二枚掲載。宮尾顧問は「移住地の家ではないのではないか」と疑問視するが、寄贈者の名前以外何の説明もないため、確認は不可能だ。
◎笠戸丸移民を始めとする初期移民が配耕され、苦渋を味わったコーヒー農場の写真十点の説明は、「コーヒー農場での契約労働は、コーヒー樹間の草取り、実の採取と袋詰め、その他雑役への従事が義務とされた。移住者は早朝から土にまみれて黙々と働いた」のみで統一されている。
◎農機具や生活用具に関しても説明が全くないものが多く、何故「毒蛇血清薬箱」が必要であったか、日本からの「農具」が役に立たなかったことなど、移民の立場からの解説は全く見られない。

「サンパウロ州はアマゾン?」

◎「農業開拓」の項では、「多くはアマゾン流域の熱帯雨林を切り開いて―」と十九万の戦前移民の九割がサンパウロ州に入植した歴史事実を無視。
◎コチア産業組合を「南米一の農業協同組合にまで発展しました」とし、九四年の解散に関する説明はなく、現在も存在しているかのように記述。
◎ピメンタや綿作など日本移民が携わった代表的作物の生産についても「コーヒー農園」同様、ほぼ全ての写真に同じ説明がついている。
◎稲作では、一九六七年にトメアスで撮影した写真に「入植当時は稲穂を手で摘んで収穫した」と説明。トメアスへの初入植は一九二九年。写真と説明の整合性すらない状態だ。
◎さらにひどいのは、バストスで撮影した写真にアマゾン開拓の説明があり、三千キロ離れた地理を無視した致命的な記述ミスが見られる。
◎第三章「日系人社会の形成」のトップを飾る「結婚写真」と題された写真には、何故か非日系女性のウェディングドレス姿が。もちろん説明はなし。

「移住生活は神楽三昧?」

◎最終章「移住者の生活」では、資料収集でコーヒー挽き器などが寄贈されていることから、「ブラジル文化が日系人の生活に溶け込んでいる」とあまりにも幼稚な考察に続き、広島県人会の神楽保存会の説明。これで〃移住者の生活〃を理解することは不可能に近い。
 全体的に説明に乏しいうえ、写真提供者の名前だけで撮影場所、撮影年、状況説明などが全くないものが多く、資料としての価値自体が疑問とされる。多少の知識があれば、起こり得ない事実誤認や単純なミスは枚挙に暇がなく、「間違い探し博物館」と揶揄されても仕方がない内容だ。

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